セミリタイア日記

48歳でセミリタイアした独身男が暇にまかせて恥も外聞もなく好き放題書いちゃうBLOG

カテゴリ:歴史 > 日本の神話

伊勢国風土記には神武東征の際に、神武天皇が天日別に向かって「天つ方に国あり その国を平けよ」と勅したそうである。
平けたのは伊勢であった。

ここからうかがえる事は、天の方向は大和から見て東の方向という事である。
たしかに陰陽五行では、上方は東である。
なぜか、ユダヤもエデンの東など東が天という認識があるようである。
ただし、日本では西方が浄土であるが、神武天皇の頃は天つ方向は東であったということになる。

もっとも伊勢国風土記なので、地元をいいように書いている可能性はあるが、、、

これからすると高天原は伊勢、あるいはもっと東の富士、あるいは日高見国(東北)あたりが候補ではないかと思われる。
大和朝廷の支配領域でみれば伊勢であろうし、天津神系支配地域まで含めると富士や日高見国あたりが高天原かもしれない。
よく言われているように九州や奈良ではないことになる。
九州はニニギの天降った先であるので、高天原ではない。
奈良も饒速日の天降った先であるので同じように違う。
その他の地域から来たからこそ天降ったと言われるのである。
その他の地域として出雲はスサノヲが高天原から追放された先なので明らかに違う。
朝鮮も北となるので、天の方向ではない。

ホツマツタヱでは、アマテルの宮は志摩の伊雑宮ということである。
そうすると記紀に出てくる高天原は伊勢志摩あたりという事になるのではなかろうか?
ホツマツタヱが偽書でないとしてであるが、、、

神武東征じたいが、高倉下や饒速日などアメノホアカリ系の豪族のおぜん立てによる物という感じがあるので、東海地方の地域から指令がでているのかもしれないとは思う。
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神話などで、名前をみていると土地の名前の後に津とか都という字がつくことがあります。

丹生都姫、吉備津彦、伊勢津彦、伊予津彦、宇佐津彦、伊賀都臣、島津国などいろいろあります。

文字通りでは港や京の事かと思ってしまいますが、別にそれらとは関係のない土地にもついてきたりします。
おそらくこれらは、助詞の「つ」であろうと思います。

例えば丹生都姫は丹生つ姫(丹生の姫の古風な言い方)
近つ飛鳥や天つ神などの言い方があります。
それに万葉仮名をあてたという感じでしょうか?
見てる感じ、海がある地方の後には津を使い、山沿いの地方だと都を使っているのかなという印象は有ります。

そして三文字以上の地名にはあまり多く使われていないように見受けられます。
難波津や熟田津など三文字の後につく場合は本当の港が多いように思います。
椎根津彦は椎根港の彦という意味かもしれません。

当時三文字の名前が流行っていたかなにかで無理やり津や都をつけて三文字の名前にしたのでしょうか?
たしかに丹生姫だと、しまらない名前という感じは否めませんね。

ここで疑問が生じるのは瀬織津姫です。
オカルト系に大人気ですね。
これはどちらなんでしょうか?
瀬織の姫なのか瀬織港の姫なのか?

三文字なので港なのかもしれないけど、どこの港だろう?
瀬織がどこだか分からないという感じだが。
土地名じゃなくて単なる名前かもしれない。
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志摩市阿児町立神の宇気比神社では、正月にひっぽろ神事というお祭りが行われる。

そこで獅子舞がされるのであるが、獅子は二頭いるのが特徴である。オスとメスであろうか?

宇気比というのは誓約(ウケイ)の意味であるが、オスとメスの結婚の儀式を表しているのであろうか?
祭神はアマテラスとスサノヲの誓約で生まれた五男三女の神である。

しかし、なぜ獅子なのだろう。日本にいないし。
天皇家の紋章もライオンと一角獣だ。
日本の神様は蛇や龍だと思われるのに。
龍のオスメスならわかりやすい。竜(オス)と龍(メス)で伏儀と女媧だと思うので、しかしライオンのつがいとはなんなのであろう。

ライオンと言えばユダ族のシンボルであるが、何か関係あるのであろうか?
アマテラスやスサノヲがユダ族なのだろうか?

祭りでは二頭の獅子舞の後、藁で作られた小屋を燃やし、それを厄年の若者が消すというユニークな火祭りが行われる。火傷を負う事もあるような結構壮絶な祭りである。
聖書(レビ記23章)では正月15日の過ぎ越し祭から7日間火祭りをすることになっている。
それにならったものであろうか?

あるいは、ニニギとコノハナサクヤヒメの誓約による出産を表しているのであろうか?
この場合は、燃える産屋で生まれたのは男三神である。
古事記ではホデリ(海幸彦)、ホノスセリ、ホオリ(山幸彦)である。
日本書紀ではホノスセリはホアカリと称されて、饒速日の父である。

ちなみにホツマツタヱではニニギの兄のアメノホアカリには子供ができなかったため、饒速日を養子にもらったとのことである。
このためホアカリはアメノホアカリと混同されてよく間違われているらしい。

この人たちの本拠地は大神神社なので、やっぱり蛇神っぽい。結局獅子はなんなのかよくわからない。
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ちょっと何かあると、すぐに自己嫌悪に陥り反省して縮こまる。
それで以降なにか好転できたのならいいが、できたためしがあまり思いつかない。
それなら逆に反省などしない方がいいのではないか?
するだけ無駄ではないか?

世の中見てると、反省しない人の方が圧倒的に魅力的である。
開き直っても選挙に当選していく人もいる。
自分に問いかけてあんた選挙に通るだけの魅力があるかと言われたら絶対ない。
当選できるというのはそれだけの魅力があるのであろう。自分には分からんが

記紀を見てもこれが神様でいいのかと思うような神様ばかりである。
まさにやりたい放題なのだ。
反省しているそぶりもない。そんなことしたら魅力が半減するかもしれない。
一番ましな感じに書かれているのは大国主だが、それでも見境のない女好きだ。嫁さんも泣かしている。
男の神様はほとんど女好きだが
それでも余りあるメリットをもたらし魅力的なのである。

何の非もないようなオモイカネなどはそれこそ官僚みたいな感じだ。
そんな感じの人が好きな人もいるかもしれないが魅力はあまりない。逆に言えば面白くないというのが非である。

ということは反省などするのがそもそも間違いなのではないか?
反省して自信がなくなり、活発でなくなり引きこもっていく。
反省したり謝ったところで、結果が無しになるかというとならないし許されるわけでもない。
不完全でいいんだと言っているのかもしれない。

それでも、自分の非をどうやって気にしないでおくことができるか分からない。
サイコパスなら別かもしれないが、普通の人にできるだろうか?
縮こまって小さな善良な人間になってしまうのが普通なのではないだろうか?
それはそれで悪くはないといえばそうであるが、、、

まず相手の気分を害したくらいの事は非ではないと思わないといけないかもしれない。こちらに悪気が無かった以上、それは相手の問題ということであって自分の責任ではない。
これを言い聞かせないといけない。
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ホツマツタヱは偽書と言われている。
中世か近代に創作されたものと考えられている。

理由は48文字の音順が洗練されすぎていることと、万葉集や記紀で使われていない「ん」が入っていることである。
音の並び順には粒が集まって風になり、火になって上昇し、冷えて水になり、それが固まって埴になるという近代の科学知識がないとできないような並び順になっている。→密教の5大説、地、水、火、風、空から来ているかもしれない。密教がすごいのか 2018/11/13

たしかに、景行天皇の時代にこれほど洗練された表音表意文字があったとしたら、古事記で苦労して万葉仮名というようなかなり発展途上の試行錯誤的な記述はする必要がないわけだからそう考えるのも当然である。

そして、文字が書かれた遺跡が全くでないというのは有りえないように思える。

ただし、近代に書かれた物であっても内容が全くでたらめかというのは別問題であるので注意が必要である。
ホツマツタヱの内容をみると、何もないところから創作するのはもちろん無理とおもわれ、神社伝承や種々の歴史書などを相当研究しないと書けないであろうことは分かる。

現在知られている記紀やその他の史書の内容は互いに矛盾しており、どれも内容がそのまま信じられる感じではない。正史である記紀にしても神話化や物語化されてしまっておりそのままでは事実をありのままに反映していないし、権力による改ざん説も取りざたされているような状況である。

ホツマツタヱは、これらの相矛盾する書物や神社伝承の内容を現実的な出来事として矛盾することなく、納得できるような内容に書いているわけであるが、もし創作だとしても相当なものではないかという気がする。
書かれた当時での歴史解釈書と呼んでも差し支えないのではなかろうか。

ではなぜ、神代文字などというような本人しか読めない文字を使って書かなければならなかったのかという疑問が生じる。

江戸時代、先代旧事本紀大成経という書物が出版された。
それは幕府から偽書と判定され発禁処分となり、さらに関係者は島流しになった。

つまり当時正史に反する内容を含んだ書物を発行すると罰せられる時代であったということだ。
その場合、表に出せないような研究成果を残すには暗号で書くのが一番である。
文字と音の対応表さえあれば、いつでも解読できるようにしておくのである。
時代が変わって自由な時代になってから世にだせばいいわけである。

それが1966年だったのかもしれない。
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