セミリタイア日記

48歳でセミリタイアした独身男が暇にまかせて恥も外聞もなく好き放題書いちゃうBLOG

カテゴリ: 時事

物や地位など資本主義社会に毒されているんだ、そんなものはくだらないというのは確かにそうであろう。
しかし、なにかにすがらないと生きてゆけないという心の問題がある以上すがり先としては現代社会においてはましなのかもしれない。
社会維持という意味合いにおいてであるが

それが幻想だと分かったとしても、資本主義社会も世間の荒波も消えるわけではない。
心の問題が消えない以上、もっとやばい物にすがりついてしまう危険性もある。
やばい新興宗教、やばい政治思想、やばいビジネスなど

そういう意味ではセミリタイアもすがり先の一つなのかもしれない。
荒波に疲れ果てた者にとっては非常にいいすがり先のように思える。
しかし荒波にもまれてもいない内にそれをそそのかしてしまっていいものか非常に悩ましい。

FIREなどは非常にやばい思想になりかねない。
荒波に適応できる人は資本主義社会に洗脳されたままの方がもしかして幸せなのかもしれない。
そういう人までも社会性否定やハイリスク投機に誘引してしまうかもしれない。
そして経済的自立が達成されるまでは荒波にもまれ続けなきゃならないことには変わりない。
荒波がより苦痛になってしまう可能性もある。

これをどう考えるかである。
もちろん荒波のない社会を実現できれば一番いいのかもしれないが、そのような理想郷がはたしてあるのだろうか?
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イエスも釈迦もすべてを疑え、この世の中に絶対というものはない。
あるとしたら宇宙を創造したものだけだ。それは見ることも聞くこともできない。
それ以外のものはすべて疑え。と説いたのではなかったのか?

しかし、皆がやっていることはその逆である。
弱さゆえに何かを信じたい。すがりたい。
そして私を信じろ、これが真実だ。これが絶対の正義だ善だと主張するものが後を絶たない。
それはなぜかといえば、そう主張するものが利益を得れるからである。
そして信じたものは搾取される。

何かを信じれば信じるほど、相反するものと対立せざるをえない。
相反するものを憎み、嫌い、せん滅することも是とならざるを得ない。
つまり、信じることがいけないのである。
それこそ執着である。

そう考えると本当は信じてはいけない。
しかし、そのような人は忌避される。人でなしと言われる。
村八分である。
おそらく、この世の中は信じることに対してポジティブな感情をもつように洗脳されているように思える。
そしてもっとも疑わねばならないのは、自分自身であろう。
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この世の中なんでも競争になってしまっている感があるが、果たしてそれは意味のある競争なのか?
共通のルールに従わないもの、同一条件でないものは意味がなさそうである。
また共通のルールがあっても人間の判断で結果が決まるものも意味がなさそうである。
それは審査者にとっての優劣にすぎないからである。
また自分でないものも意味がなさそうである。当たり前であるが勝っているのは自分じゃないからである。持ち物とか家族、友人、職業、所属など
自分の努力でどうしようもないものもそうであろう。遺伝で100%決まってしまうようなことなど

そうなると人生における出来事で意味のある競争はほとんどないことになる。
残るのは競技くらいか?
競争するなら競技しかないのではないか?

でも競技もルールをつくるのは人間であるからして、それに勝つことに意味があるかといわれるとなかなか難しいことになる。結局ルールを作った人の価値観での優劣にすぎないことには違いないかもしれない。
また勝ったことによってそれが世の中の役に立ったかと言われてもなかなか難しいものがある。
自分の優越感が満たせるだけかもしれない。

そうなると、結局はなんでも自己満足しさえすれば勝ちなのではないか?
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どんな立派な思想に思えても、恐怖を利用していたらアウトだろう。
天罰の恐怖や病気災害などの恐怖、死の恐怖、孤立の恐怖、、、
それらによって行動を規制したり、コントロールしようとしているならばほぼまがい物だと思う。

恐怖というのは良い人や真面目な人により効いてしまうからだ。
わずかな過ちで罪責感を過剰に感じてしまい苦しんでしまう。過剰なまでに適応しようとしてしまう。
その人の責任でもない事で人の期待を裏切ってしまったと自殺してしまう人がいる。
セミリタイアしただけでも世の中の役に立ててないと罪責感を感じてしまう人がいる。
一方サイコパスには全く効かない。恐怖心をもたないからだ。

つまり、サイコパスの増長にはある程度目をつむるしかない。
罪人も悪人も最終的には赦すしかないのかもしれない。
そのことによって悪人を救うのではなく、よりささいな過ちで苦しんでいる善人が救われる。
イエス的な思想が一番正解に近いように思える。

しかし、今の状況だとほぼアウトな物ばかりなような気がするなあ
恐怖が人心コントロールに一番簡単で効果があるからであろう。
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マスクをしない自由を求めて逮捕される人が続出しているようである。
その自由にどれほどの価値があるのかよくわからないが、なんらかの身体的事情もあるのかもしれない。
しかし、自由を求めて監獄という不自由な状況になるくらいならセミリタイアすればいい。
考えられる中でほぼ最高の自由が得られる。

政治的運動が目的ならばだめであるが、、、

しかし、そうだとしたらなんでそんなしょうもない自由を求めて運動しようと思うのかよくわからない。
マスクに効果がないというネットの噂話を真に受けたのか?
かりにそれが正しかったとしても運動するほどのことなのだろうか?
思い込みが激しいのか信じやすいのか?

本当にマスクができない体なら仕方ないと思うが、それなら透明のやつでもつければ逮捕されることはなかったのではないだろうか?

こればかりは本人でないと分からない。
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