セミリタイア日記

48歳でセミリタイアした独身男が暇にまかせて恥も外聞もなく好き放題書いちゃうBLOG

カテゴリ:歴史 > 日本はいかにして対米戦争に巻き込まれたのか

今から70年前、第2次大戦で日本はアメリカに原爆2発を落とされ、国土が焦土と化し敗戦しました。
今年は区切りの年ということで世界各国でさまざまな式典が開かれております。

いったいなぜ日本は国力で10倍もの差がある国を相手に戦争をしなければならなかったのでしょうか?
その必要性はどこから生じたのでしょうか?
当時の上層部はアメリカと戦ってただで済むと思うほど、いけいけどんどんのアホだったのでしょうか?
そんなわけはありません。
当時の上層部でアメリカと戦争して勝てると考えていた者は一人もいなかったであろうと思います。
考えられるもっとも納得いく説明は、戦争に巻き込まれたということになるかと思います。 

日本は1894年に清と1904年にロシアとあいついで戦争をしました。
そこで何とか勝利した日本は、領土や利権をえます。台湾、朝鮮、樺太、満州鉄道です。
これらは不当に得たものではなく条約にもとづいて双方が合意の上得たものです。

ここで一つの事件が起きます。
外交官小村寿太郎によりハリマンと桂の間で口約束されていた満州鉄道の共同経営が破棄されます。
アメリカは激怒します。金を借りておいてそのおかげで戦争に勝ったのにその見返りがないと。
借りた金は利子つきで返済しているのですから責められるいわれはないと言えますが気持はわからないでもありません。
しかし日本も苦しい状況で勝利している弱みから戦利品が満州鉄道しか得られなかったという事情があります。出した犠牲にたいして得られたものが釣り合ってない状況といえます。

次いで1914年、ヨーロッパで第一次世界大戦がはじまります。日本も日英同盟のもと、イギリスの要請によりしぶしぶドイツに宣戦布告します。
そこで勝利しドイツの植民地であった山東半島と南洋諸島を得ます。
これに関しても不当に得たものではなく条約にもとづいたものです。
日露戦争とは逆に、日本の被害は非常に少ない状況で多くの物を得たことになります。
これにぶち切れたと思われる国があります。アメリカです。

アメリカは当時ハワイとフィリピンを植民地にしていました。
これらの植民地は合法的とは言い難い方法で半ば原住民から強奪したものです。
南洋諸島はその間に位置します。
要するに、ハワイ-フィリピン間のシーレーンを日本が遮断できるということになります。
アメリカの太平洋戦略はこれにより打ち砕かれたと思います。
現在の日本で例えると、沖縄と鹿児島の間の島々を中国が領有したと考えればその重大性がわかるかと思います。

おそらくこの2つの事件をもってアメリカ(あるいはユダヤ金融か?)は完全に日本をつぶさなければならない国と認識したと思います。
そして1922年日英同盟を強制的に解消させられてしまいます。
アメリカは日本とイギリスに挟み撃ちにされるのを嫌ったと言われています。
(つづく)



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第一次世界大戦後それまでの戦争や支配に対する考え方に若干変化が生じます。
それは、国際連盟の発足です。
第一次大戦の苛烈さによりこのままでは世界が疲弊してしまう。国際協調により秩序を維持していかないといけないという考えです。
その中で特徴的な考えが示されています。

 軍縮
 民族自決
 現状の境界線維持

それまでは、戦争とは外交手段の一つであり、権利であったわけです。
しかし以降は連盟に所属している以上は戦争に一定の規制がかけられることになってきます。
ただし所属してなければ当然上記の原則に従う必要はありません。
ちなみにアメリカは自分で連盟を発足しておきながら所属していませんw

ここで日本は、人種差別撤廃を主張します。
欧米はこれに反対し、否決されてしまいます。当時の欧米はさまざな地域に植民地を抱えており白人以外は対等な地位にはありませんでした。
到底受け入れることはできない主張だったわけです。
じゃあ民族自決とは何だという話になるのですが、この民族自決は白人限定だったようですw
とんでもないご都合主義、ダブルスタンダードですね。

ちなみにアメリカはモンロー主義により、ヨーロッパには不干渉を貫きます。
しかし中南米やアジアの国への干渉は継続強化していきますw
日本に対しては黄禍論により仮想敵国化を強めていきます。
ヨーロッパには干渉しないかわり、他の地域でアメリカが何してもヨーロッパは干渉するなということですね。
原則はどこへ行ったw  
(つづく) 


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日露戦争後の日本の状況ですが
満州鉄道の防衛のため満州に軍隊を駐留させていました。関東軍です。
そのころ満州は張作霖が親分として治めていました。
張作霖は、ロシアのスパイとしてつかまっていたところをみどころがあるということで処刑をまぬがれ以降関東軍の威光もあり満州の親分まで登りつめました。
そして張作霖がやらかしたことは満州そっちのけで中国の皇帝になろうと中央に攻め入ったのです。
その時欧米が張を支持していました。おそらく金でそそのかしたんだろうと思います。
日本としては裏切られるわ満州の治安は無茶苦茶になるわでいい迷惑を被る結果となっています。

このころの中国は清が滅んだあとの内乱状態にあり、国中で軍閥同士で内戦をしていました。
国民党や共産党もそのうちのひとつにすぎず互いに殺し合いしてました。

1928年に国民党の蒋介石が北伐を開始し張とぶつかります。
張は敗戦し、満州に逃げ帰ります。その途中で関東軍の河本大佐によって爆殺されました。
なお当時の首相田中儀一は張をさらに支援継続する方針でした。
この事件は謎が多い事件で、現在もコミュンテルンの謀略とかいろいろ説がでています。

このころ満州では朝鮮系日本人が国境を超え満州族と土地の奪い合いをしていました。暴動にまで発展する事態となっております。ほんと変わらないなあw
また張作霖の後を継いだ息子の張学良はアメリカ帰国子女でアメリカの影響化にあり日本に敵対します。ちなみにフリーメイソンの会員です。

その解決のため関東軍は満州を乗っ取ることにしました。1931年満州事変です。
張学良は無抵抗で満州を明け渡しました。

そして当時天津の日本領事館に逃げ込んでいたラストエンペラー溥儀を皇帝にし満州国を建国しました。
このころ中国の華北、東北地方は中華民国大嫌い、清大好きです。
多くの民衆が満州になだれ込みました。

蒋介石は満州国を黙認、満州国はさまざまな国と国交を樹立、隣国のソ連でさえも国交を樹立します。
しかし唯一認めなかったのがアメリカです。仮想敵国ですからねえ
(つづく)




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満州を追われた張学良はその後国民党の一員として蒋介石に仕えます。
はげしい内戦状態にあった国民党と共産党ですが、共産党は壊滅寸前まで追い詰められています。
そのような状況の中、共産党征伐を命じられた張はとんでもない事件を起こします。
蒋介石を拉致し、共産党に引き渡したのです。1936年西安事件です。

処刑しようとする共産党にたいしてなぜかコミンテルンから処刑禁止指令が下されます。
そして蒋介石救出のため交渉団が派遣されます。
なんと蒋介石の嫁さんの宋美齢とその兄の宋子文です。
普通に考えたら、嫁さんがのこのこ出て行ったら人質がもう一人増えるだけです。
いったい彼らにどれほどの交渉力と交渉ネタがあったというのでしょうか?
さらに救出後は実行犯の張と一緒に仲良く同じ飛行機で南京に帰るという前代未聞の事件ですw

考えられるのは、アメリカとソ連が仕組んだ茶番です。
アメリカは日本をつぶしたい。ソ連は共産党を延命したい。その利害が一致したといえます。

まず宋美齢ですが、アメリカのフリーメイソン系の学校を出ています。
西安事件の関係者は張学良も含めすべてフリーメイソン関係者です。
ちなみにルーズベルトもフリーメイソンです。
そしてスターリンはロスチャイルドの子じゃないかという疑惑があります。
また宋美齢だけでなく姉妹3人とも中国の経済、政治の重要人物に嫁いでいます。
姉の靄齢は財閥に慶齢は孫文に嫁いだ後共産党に入党しています。
どう転んでも中国の経済、政治をコントロールできる状況です。

事件後、蒋介石は反共容日の立場から一転し国共合作抗日へと一気に舵がきられます。

翌年1937年に国民党は上海の日本疎開を攻撃します。第2次上海事変です。
これで日中戦争の火ぶたがきられます。
ここで注目したいのは攻撃の数か月前に宋美齢の元にアメリカ空軍のシェンノートが軍事顧問として派遣されたことです。
アメリカからなんらかの指示があったと思います。おそらく対日戦術と物資支援だと思います。
中国は非常に広い国土を有しており、奥地に逃げ込めばほぼ制圧は困難となります。
物資さえ枯渇しなければ延々と戦争を継続することができるのです。
もちろん自国民は見捨てます。
この戦術をアメリカから伝えられたと思います。

ちなみに第2次上海事変の前後に日本は何度か和平を申し入れています。
しかし、交渉直前になると必ずテロが発生し交渉がとん挫します。この役割をになったのが共産党です。
事変後も日本は満州国国境まで兵を引くと提案します。しかし蒋介石は提案を黙殺します。
国民党幹部は自分たちがなぜ戦争をしているのか全くわからないと首をかしげたと言われています。
そりゃソ連とアメリカの代わりに日本と戦わされてるんだから訳わからんでしょうw

その後宋美齢はアメリカ国民を欺き対日戦争に導くためのプロパガンダ人形としての役割を担っていきます。
(つづく)
 
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アメリカは日露戦争後、対日戦に備えてさまざまな嫌がらせをしてきたわけですが主なものを上げると
 1906年 米カリフォルニア州議会、日本人移民制限決議案
 1908年 白船事件 
 1909年 満州鉄道中立化提案
 1913年 第一次排日土地法
 1920年 第二次排日土地法
 1921年 ワシントン会議
    主力戦艦の保有比率が米:英:日で5:5:3ときまる。
    日英同盟破棄させられる。
    山東省を放棄させられる。
 1922年 黄色人種の帰化権剥奪
 1924年 絶対的排日移民法成立
 1927年 張作霖を援助し満鉄併行線を建設
 1930年 ロンドン軍縮会議
     軍艦保有比率が米:英:日で10:10:7ときまる。
 1931年 反日政策をする張学良を援助
 1932年 リットン報告書
 1933年 日本、国際連盟を脱退
 1936年 西安事件
 1937年 第二次上海事変 中華民国を支援

要するにはなっからやる気満々なわけですw
とりわけ日英同盟を破棄させられたのが大きいですね。
英国はまだその当時はアメリカを味方という感じではなく、自らの覇権を脅かす国家ととらえていたのではと思います。
アメリカもイギリスに対してレッドプランという戦争計画を立てています。対日本はオレンジプランですね。
イギリスの高官は日英同盟から四カ国条約に代わった時、「ウイスキーをとられて水を持ってきた」と嘆いたと言われます。
その後日本は孤立に追いやられていきます。
そしてまんまと中華民国と戦わされる羽目になってしまうわけですが、日本は持久戦に持ち込まれ広大な戦線維持のために疲弊してゆきます。
またプロパガンダにより国際的な立場がさらに悪くなっていきます。
この戦争は絶対やってはいけない戦争だったと思いますが、当時それを防ぐとこができたかというとやはり難しかったと思います。
いったんその地に利権などが出来てしまうと保護せざるを得ないからです。
しかも日本の場合、なめられているのかやりたい放題裏切りや虐殺されているので、、
現代の無人の尖閣諸島や竹島でさえ放棄できるかというとできないわけですからなおさらです。
そして相手との関係で安全をより確保するためにはどうしても戦線が拡大していきます。

石油や貿易をアメリカに頼っている状況で表だってアメリカに敵対することもできず、仲間もおらず非常に苦しい状況ですね。
そういった中、日本はドイツとの関係に活路を見出そうとしていきます。
(つづく)
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