セミリタイア日記

48歳でセミリタイアした独身男が暇にまかせて恥も外聞もなく好き放題書いちゃうBLOG

カテゴリ:科学 > 宇宙はどのように考えられてきたか

科学は全く謎であった自然の現象を理性によって説明したいという願望がその始まりだと思います。

現在私たちが何の疑いもなく当たり前として知っている科学知識、それらの常識はすべて初めは非常識から出発したのはいうまでもないでしょう。

科学という方法がなかった頃、人々は自然の出来事を全知全能の創造者や精霊の御業だと考えていました。

それらの常識を疑い、覆そうという試みはどれほど思考力や直感力、さらに勇気を要したでしょうか。想像に難い気がします。

例えば、私たちの身の回りにある木や水や動物などすべてのものが、いくつかの種類の粒だけからできていて、その組み合わせ方の違いによると考えたデモクリトス。
また夜空の月をみて、月は地球に引っ張られて落ちてきているのだと考えるニュートン。

いったい何というひらめきでしょうか。
当時もし私がそのような事いう人にあったら間違いなく精神科医を紹介していたでしょう。


科学常識はみな説明してもらって初めて、なるほどと気付く事ばかりです。逆に言えば説明してもらわなければ一生気付かないかも知れません。たぶん気付くのが不可能に近いことの方が多いでしょう。

私は当たり前と思っている常識を驚異の目で再確認する必要があるなと思いました。
(つづく)

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科学の対象で、もっとも思考されてきたもの、もっとも謎めいて魅惑的なもの、それは宇宙ではないでしょうか。
科学者(あるいは科学者でなくとも)は有史以来、私たちをとりまいているこの空間とはいったい何なのか、どのような構造なのか、果てはあるのか、いつから存在して、どうなっていくのか、このような最も素朴な疑問をずっと考えつづけています。
みなさんも満天の夜空を見上げ、宇宙の果てに心を馳せた事がおありではないでしょうか。

これほど多くの人に考えられてきたにも関わらず宇宙について確実といえる結論はほとんど得られていないと言った方がいいような気がします。
突き詰めて考えれば考えるほど、ますます分からなくなっていきます。
自然というのは、永遠に理解できないものかもしれません。
だからといって考えることをやめてしまえば神を崇めるしかなくなってしまいます。
 

自然現象はとてつもなく複雑な様相を示します。
しかし科学者は、複雑な自然現象は非常に簡単な理屈で説明できるのではと信じています。
そしてその理屈を発見あるいは発明したいと思っているのです。

宇宙論は、学者の数だけあるといわれます。
それだけに宇宙はわからないことが多く 難しいのだと思いますが、まずは宇宙についてこれまでどのように考えられてきたのかを概観してみたいと思います。

    
◆感覚的な宇宙

もっとも初期の宇宙観とは、それは私たちが感ずるそのままの宇宙感でしょう。

私たちは、平坦な地面に立っている。
そして空はお椀をかぶせた内側のようなもので、お椀には太陽や月や星が張り付いている。
お椀は実は球体であり、常に回り続けることにより昼と夜が入れ替わる。
もう少し気を利かせれば、球体はたぶん多重構造で、太陽が貼り付けられている球、月が貼り付けられている球、星が貼り付けられている球があるのだろうという考えに行き着きます。

まったくもって分かりやすいですね。誰もこの宇宙論に異論はないでしょう。
宇宙の主役は私たちなのです。


しかし、ちょっと待ってください。
では地面の果てはどうなっているのでしょうか?
地面の端までいけば太陽や月に触れるのでしょうか?
その外側には何があるのでしょう?
そして自分たちが中心にいるのなら宇宙は私たちのためだけに造くられたのでしょうか???
もしそうなら、私たちを特別に気遣ってくれる、宇宙の創造者がいなければならなくなります。

(つづく)

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前回は私たちが感ずるままの宇宙(感覚的な宇宙)について述べましたが、よく考えてみると何とも説明しがたいような疑問が次々に沸き上がってきましたね。
それらの疑問は解きあかすことができるのでしょうか?
私には分かりません。
しかし部分的に解きあかされた事もあるのでそれらについて見ていきたいと思います。

    
◆地面の果て

地面の果ては、どうなっているのでしょうか?

この難問についてはピタゴラスが解決しました。
彼は地面は曲がっていて、私たちは球体の上に乗っていると考えました。
なるほど確かにそう考えれば地面の果てのことは考えなくてよくなります。
なぜならば球面には果てがありません。どこまでも進んでいけます。
そしていつかはもとの場所に戻ってくるからです。
これを有限無境界といいます。
 
またアリストテレスは月の満ち欠けを観察し、月が球体であり、太陽に照らされて光っていることを発見しました。
彼らは、宇宙の根元的な形は球であると考えていたようです。
彼らまさに科学者の始まりでしょう。

しかし彼らの考え方は、感覚的には受け入れがたいものがあります。
地球の裏側にいる人は、下に落ちるに決まっていると思えます。


しかし彼らは自然現象の綿密な観察を通して、私たちが球体の上に乗っていることを洞察しました。
そのおかげで私たちにとっての方向という概念がかなりあやふやな物になってしまったのです。
宇宙には絶対的な上も下もないのです。地面がある方が下なのです。
つまり地面が球ならいたる方向が下であり、上ですね。
また東西南北もない。球の上では東に進んでいった人と西に進んでいった人は必ず出会うのです。
 

これはかなりショックであり、信じろといわれても相当苦痛です。
しかし地面が球であることは現在に生きる私たちにとっては紛れもない事実です。
私たちは、自分の感じたことを信じてはいけないわけです。
感覚世界から解放されなければならないのです。
そして観察と思考により導き出された科学者の論理を信じなければならないことになったのです。 
(つづく)

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前回は地面が球体であると考えることによって地面の果てについての疑問が解消しました。
しかしスケールが大きすぎる話は何とも考えにくいものだということを思い知らされました。
さて今回は夜空にきらめく星の話です。

    

◆私たちを惑わせる星「惑星」

夜空を見上げると数えきれないほどの星が輝いています。
自然はなんと美しいイルミネーションを私たちに与えてくれたことでしょう。
これらの星はお互いの位置が決まっています。
人はその星のならびを見て、天秤や蠍などに似ていると思ったのです。そしていろいろな星座に名前を付けました。

このような星を「恒星」といいます。
そしてこの星は北極星を軸にほぼ1日に1回転します。
正確には1日に1回転ではないので、同じ星座を同時刻に見たときの位置は、日が経つにつれ徐々にずれていきます。
恒星は、地球の周りをすべて同じ角速度で回っているのだとすれば説明がつきます。

ところが星の中に妙な動きをする星がいくつか見つかりました。
その星は恒星と団体行動をとりません。
それらは恒星に対して場所を変えていきます。

その移動の速さは時ととして違い、時には移動の方向を反転したりするものもありました。
このような星は「惑星」と名付けられました。

自然は何とも意地悪なものを造ってくれたものです。
惑星の動きを説明することは途方もない挑戦に思えたことでしょう。
ただ惑星の行動には周期的なパターンがあったのです。
そこでプトレマイオスは惑星は地球の周りを円を描いて回っており、その円の中心軸が地球から少しだけずれていると考えました(離心円)。
同時に、惑星は離心円軌道上の点を中心にさらに小さな円(周転円)を描いて回っているのだと考えました。 

この考えは成功しました。
あの忌まわしい惑星の動きを幾何学的に説明できるようになったのです。
そして多くの科学者はその後1000年以上にわたって彼の説を支持しました。


しかしプトレマイオスの方法は、現物合わせ加工に似ているといえるかもしれません。
何かを加工しようとするとき、例えば相手のねじ穴がここにあるからその位置に合わせて穴をあけたり、相手に出っ張りがあれば、その位置に合わせて凹みを造るようなぐあいです。
確かにそれでもうまくいきます。
そして作業者はなぜそこにねじ穴があるのかということは考えません。

しかし科学者はそれを考えずにはおれないのです。
プトレマイオスの方法は、惑星の見かけの動きをちょっと複雑な円軌道によって説明しました。
しかし、惑星はなぜそのような軌道を描かなければならないかの説明はできませんでした。
神が惑星にそう命じたのだと答えるしか無かったのです。                 

(つづく)

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前回はプトレマイオス体系についてのべました。
彼らは数学を自然現象を記述する道具でしかないと考えていたようです。
しかしそれとは全く異なる考え方をしていた人たちがいました。
彼らはアルキメデスの考え方を継ぐ人たちで、自然は数学的調和に基づいて構成されると考えました。
今回はそのような人たちが、宇宙をどのように考えたのか見てみたいと思います。


◆正確さを信じるか、それとも調和か

ギリシャ時代の天文学者アリスタルコスは地球が宇宙の中心であることに不満でした。
地球は月と同じように太陽に照らされています。
つまり地球の半分は闇です。
一方太陽は四方八方を等しく照らします。
照らす方が照らされる方の周りを回っているというのは、どうにも納得できません。

それに太陽は地球とは比べものにならないほど大きい。
大きなものが小さなものの周りを回るのは、やはりつり合いません。調和がとれていないと考えました。


「太陽こそ宇宙の中心にふさわしい」
要するに、静止しているのは実は太陽と恒星の方であり、地球は太陽の周りを回っている一惑星にすぎない。
そして一日一回自転している。そう考えたのです。


しかし当時は誰もそんなことを信じる者はいませんでした。
なぜなら地球が一日に一回転しているとすれば、私たちはとてつもなく早く動いている地面の上にのっかっていることになるからです。
どう考えてもそんなふうには思えない。
それに私たちはすごい風速の風に曝されるはずです。
しかし窓の外をみても、たまには暴風の日もありますが、普通は穏やかです。これは観測的事実です。

ところが観測事実より調和を重んじた人たちがいました。
アリスタルコスから1600年以上もたった頃です。
コペルニクスはアリスタルコスの考えを復活させました。
そしてプトレマイオスと同じように「円軌道」を使って宇宙体系を組み立てたのです。
またガリレイは自作の望遠鏡を木星に向けました。
彼は木星の周りをまわる小さな月(衛星)を見て震えたことでしょう。
これこそ宇宙の縮図だ!少なくとも木星の月は地球ではない天体を中心に回っていると。

ただコペルニクスの体系はプトレマイオス以上には、惑星の動きを正確に表しませんでした。
そして地球を含む惑星の軌道はプトレマイオス体系と同じくらい複雑でした。
しかしそれらは彼らの確信を微塵も揺るがすものではなかったのです。
彼らにとって調和的美こそ真理の輝きに他ならなかったのでしょう。 
(つづく)

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