科学は全く謎であった自然の現象を理性によって説明したいという願望がその始まりだと思います。
現在私たちが何の疑いもなく当たり前として知っている科学知識、それらの常識はすべて初めは非常識から出発したのはいうまでもないでしょう。
科学という方法がなかった頃、人々は自然の出来事を全知全能の創造者や精霊の御業だと考えていました。
それらの常識を疑い、覆そうという試みはどれほど思考力や直感力、さらに勇気を要したでしょうか。想像に難い気がします。
例えば、私たちの身の回りにある木や水や動物などすべてのものが、いくつかの種類の粒だけからできていて、その組み合わせ方の違いによると考えたデモクリトス。
また夜空の月をみて、月は地球に引っ張られて落ちてきているのだと考えるニュートン。
いったい何というひらめきでしょうか。
当時もし私がそのような事いう人にあったら間違いなく精神科医を紹介していたでしょう。
科学常識はみな説明してもらって初めて、なるほどと気付く事ばかりです。逆に言えば説明してもらわなければ一生気付かないかも知れません。たぶん気付くのが不可能に近いことの方が多いでしょう。
私は当たり前と思っている常識を驚異の目で再確認する必要があるなと思いました。
(つづく)