今回も歴史の本を読んだ。「伊勢神宮と天皇の謎」武澤秀一著である。
伊勢神宮は皇祖神アマテラスを祀る神社であるが、同じような規模で豊受大神も祀っている。
遷宮により2000年前からずっと同じ形式を守ってきたと言われているが実はそうではないということである。
社殿はどんどん豪華で立派になっていったが、室町時代に戦乱で遷宮が途絶える。
120年後復帰されたが社殿の配置などが変わってしまった。
敷地内には正殿と東宝殿と西宝殿と3つ建っている。
もともと内宮は逆三角形に配置され、外宮は正三角形に配置されていた。
それが、室町の戦乱の復帰したときに横並び一直線に変わってしまった。
そして明治の遷宮から復古令で元の三角の配置に戻った。しかし、社殿の豪華さなどは元に戻さずそのままとなった。
その後も豪華さは増していき戦前に最盛期を迎えた。しかし敗戦とともに現在の豪華さに落ち着いた。
元は内宮が優遇されていたが。外宮が力を伸ばしていき現在ではほぼ同規模で外宮が先参りとなっている。
これには、幕府や政府からさかんに内宮を外宮より上にしろと命令がでているが無視されているようである。
遷宮は持統天皇により行われるようになったが、自分がアマテラスの化身であることを演出したのではないか、そして明治天皇は自分が神武天皇の化身であることを演出したのではないかということであった。
明治期の重要な行事はすべて遷宮にあわせて計画された。
遷都が明治2年の遷宮に、憲法発布、国会の開催など明治22年遷宮に合わせて行われた。
近代国家の確立を20年も待ったのである。
まさに大日本帝国イコール伊勢神宮である。
面白いなと思ったのは、平安時代に策定された儀式帳にてすでに外宮が正三角形配置で鰹木9本(陽数)、内宮が逆三角形配置で鰹木10本(陰数)と定まっていたっぽいことである。
つまりその当時から陰陽思想にもとづき外宮が陽、内宮が陰であったことである。
持統天皇が自らになぞらえるためにアマテラスを女性神にしたとよく言われている。
しかし陰陽思想の上でいくならアマテラスは女性で正解である。
持統天皇の一存でもないのかもしれない。
正三角形と逆三角形は、合わせるとイスラエルの六芒星になる。
偶然なのか?参道の灯篭に六芒星を書いたり籠神社の奥宮の社紋が六芒星だったりなんのいわれもなくそうなったのではないのだろう。
籠神社がある丹波と伊勢は風習がよく似ている。それは竜宮伝説であったり、蓬莱や天白信仰(天羽衣伝説)など神仙思想が濃いことである。ともに徐福の上陸地と言われているところが近くにある。
2つの地域は同族なのかもしれない。
籠神社の宮司は天火明命の後裔の海部氏である。熊野は天火明命の子の天香山命(高倉下)の地元である。外宮の度会氏は天村雲命の後裔で、正式には天村雲命は天児屋命の後裔となっているが先代旧事本紀では天香山命の子だという説もある。
伊勢神宮と籠神社がともに六芒星で唯一神を主張しているのなら、ほぼ神道はそうなのだろう。
遷宮は元は遷都であったが、伊勢神宮に神宝を移したので遷都は必要なくなり神宮だけ遷宮するようになったそうである。
これほど神宝を移動させる例は他にユダヤしかない。あくまでも第三神殿に置くまでの駐屯地という位置付けだろうか?
十支族が中国を渡ってくる間に道教を取り入れ発展させたということだろうか?
伊勢神宮は皇祖神アマテラスを祀る神社であるが、同じような規模で豊受大神も祀っている。
遷宮により2000年前からずっと同じ形式を守ってきたと言われているが実はそうではないということである。
社殿はどんどん豪華で立派になっていったが、室町時代に戦乱で遷宮が途絶える。
120年後復帰されたが社殿の配置などが変わってしまった。
敷地内には正殿と東宝殿と西宝殿と3つ建っている。
もともと内宮は逆三角形に配置され、外宮は正三角形に配置されていた。
それが、室町の戦乱の復帰したときに横並び一直線に変わってしまった。
そして明治の遷宮から復古令で元の三角の配置に戻った。しかし、社殿の豪華さなどは元に戻さずそのままとなった。
その後も豪華さは増していき戦前に最盛期を迎えた。しかし敗戦とともに現在の豪華さに落ち着いた。
元は内宮が優遇されていたが。外宮が力を伸ばしていき現在ではほぼ同規模で外宮が先参りとなっている。
これには、幕府や政府からさかんに内宮を外宮より上にしろと命令がでているが無視されているようである。
遷宮は持統天皇により行われるようになったが、自分がアマテラスの化身であることを演出したのではないか、そして明治天皇は自分が神武天皇の化身であることを演出したのではないかということであった。
明治期の重要な行事はすべて遷宮にあわせて計画された。
遷都が明治2年の遷宮に、憲法発布、国会の開催など明治22年遷宮に合わせて行われた。
近代国家の確立を20年も待ったのである。
まさに大日本帝国イコール伊勢神宮である。
面白いなと思ったのは、平安時代に策定された儀式帳にてすでに外宮が正三角形配置で鰹木9本(陽数)、内宮が逆三角形配置で鰹木10本(陰数)と定まっていたっぽいことである。
つまりその当時から陰陽思想にもとづき外宮が陽、内宮が陰であったことである。
持統天皇が自らになぞらえるためにアマテラスを女性神にしたとよく言われている。
しかし陰陽思想の上でいくならアマテラスは女性で正解である。
持統天皇の一存でもないのかもしれない。
正三角形と逆三角形は、合わせるとイスラエルの六芒星になる。
偶然なのか?参道の灯篭に六芒星を書いたり籠神社の奥宮の社紋が六芒星だったりなんのいわれもなくそうなったのではないのだろう。
籠神社がある丹波と伊勢は風習がよく似ている。それは竜宮伝説であったり、蓬莱や天白信仰(天羽衣伝説)など神仙思想が濃いことである。ともに徐福の上陸地と言われているところが近くにある。
2つの地域は同族なのかもしれない。
籠神社の宮司は天火明命の後裔の海部氏である。熊野は天火明命の子の天香山命(高倉下)の地元である。外宮の度会氏は天村雲命の後裔で、正式には天村雲命は天児屋命の後裔となっているが先代旧事本紀では天香山命の子だという説もある。
伊勢神宮と籠神社がともに六芒星で唯一神を主張しているのなら、ほぼ神道はそうなのだろう。
遷宮は元は遷都であったが、伊勢神宮に神宝を移したので遷都は必要なくなり神宮だけ遷宮するようになったそうである。
これほど神宝を移動させる例は他にユダヤしかない。あくまでも第三神殿に置くまでの駐屯地という位置付けだろうか?
十支族が中国を渡ってくる間に道教を取り入れ発展させたということだろうか?