セミリタイア日記

48歳でセミリタイアした独身男が暇にまかせて恥も外聞もなく好き放題書いちゃうBLOG

カテゴリ: 歴史

今回も歴史の本を読んだ。「伊勢神宮と天皇の謎」武澤秀一著である。
伊勢神宮は皇祖神アマテラスを祀る神社であるが、同じような規模で豊受大神も祀っている。
遷宮により2000年前からずっと同じ形式を守ってきたと言われているが実はそうではないということである。
社殿はどんどん豪華で立派になっていったが、室町時代に戦乱で遷宮が途絶える。
120年後復帰されたが社殿の配置などが変わってしまった。
敷地内には正殿と東宝殿と西宝殿と3つ建っている。
もともと内宮は逆三角形に配置され、外宮は正三角形に配置されていた。
それが、室町の戦乱の復帰したときに横並び一直線に変わってしまった。
そして明治の遷宮から復古令で元の三角の配置に戻った。しかし、社殿の豪華さなどは元に戻さずそのままとなった。
その後も豪華さは増していき戦前に最盛期を迎えた。しかし敗戦とともに現在の豪華さに落ち着いた。

元は内宮が優遇されていたが。外宮が力を伸ばしていき現在ではほぼ同規模で外宮が先参りとなっている。
これには、幕府や政府からさかんに内宮を外宮より上にしろと命令がでているが無視されているようである。

遷宮は持統天皇により行われるようになったが、自分がアマテラスの化身であることを演出したのではないか、そして明治天皇は自分が神武天皇の化身であることを演出したのではないかということであった。
明治期の重要な行事はすべて遷宮にあわせて計画された。
遷都が明治2年の遷宮に、憲法発布、国会の開催など明治22年遷宮に合わせて行われた。
近代国家の確立を20年も待ったのである。
まさに大日本帝国イコール伊勢神宮である。

面白いなと思ったのは、平安時代に策定された儀式帳にてすでに外宮が正三角形配置で鰹木9本(陽数)、内宮が逆三角形配置で鰹木10本(陰数)と定まっていたっぽいことである。
つまりその当時から陰陽思想にもとづき外宮が陽、内宮が陰であったことである。
持統天皇が自らになぞらえるためにアマテラスを女性神にしたとよく言われている。
しかし陰陽思想の上でいくならアマテラスは女性で正解である。
持統天皇の一存でもないのかもしれない。

正三角形と逆三角形は、合わせるとイスラエルの六芒星になる。
偶然なのか?参道の灯篭に六芒星を書いたり籠神社の奥宮の社紋が六芒星だったりなんのいわれもなくそうなったのではないのだろう。

籠神社がある丹波と伊勢は風習がよく似ている。それは竜宮伝説であったり、蓬莱や天白信仰(天羽衣伝説)など神仙思想が濃いことである。ともに徐福の上陸地と言われているところが近くにある。
2つの地域は同族なのかもしれない。
籠神社の宮司は天火明命の後裔の海部氏である。熊野は天火明命の子の天香山命(高倉下)の地元である。外宮の度会氏は天村雲命の後裔で、正式には天村雲命は天児屋命の後裔となっているが先代旧事本紀では天香山命の子だという説もある。

伊勢神宮と籠神社がともに六芒星で唯一神を主張しているのなら、ほぼ神道はそうなのだろう。
遷宮は元は遷都であったが、伊勢神宮に神宝を移したので遷都は必要なくなり神宮だけ遷宮するようになったそうである。
これほど神宝を移動させる例は他にユダヤしかない。あくまでも第三神殿に置くまでの駐屯地という位置付けだろうか?

十支族が中国を渡ってくる間に道教を取り入れ発展させたということだろうか?
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最近はブログやYouTubeばかりになっていたので、あまりよくないと思い久しぶりに図書館で本を借りて読んだ。
「伊勢神道の成立と展開」高橋美由紀著という本である。
高橋みゆきと聞くとバレーボールの巨乳の選手を思い出す。それはどうでもいいとして

通説では伊勢神道は鎌倉時代に外宮祠官の度会氏が仏教や道教を参考にして創作した偽物だということになっている。
当時の仏教的神道である両部神道に対抗するためあるいは内宮との力関係を逆転するため、元寇など外国に対抗するための神国思想の必要性などが理由だとされていた。
著者はそれは違うんじゃないのかということを言っていた。
つまり伝統的におこなわれていた祭司などの精神性を外来思想の用語で説明したものであるという認識である。

伊勢神道の特徴は外宮の豊受大神が宇宙の根源神であるアメノミナカヌシあるいは国常立尊と同一神と主張することである。
日本の神は仏の化身だとする本地垂迹思想に対抗するため根源神をもちだしたと考えられていたが、考えてみれば皇祖神であるアマテラスを差し置きさらに記紀も覆して、食事係の豊受姫を宇宙の根源神であると主張するのであるからただ事では済まないはずである。
しかし実際にはその後の神道の基本思想みたいな位置づけとなり現代も外宮から先に参っている。

新しく書かれたから創作だと考えるのもそれは間違った考えであろう。
新しい知識をもちいて過去の事柄を再構築するということは普通に行われることである。

実際、豊受大神=アメノミナカヌシは伊勢神道が初めて主張したのではないとのことである。
ライバルである両部神道の書物にすでにその記述がある。
したがって平安以前にすでにその認識があったということである。
ではいつからそういうことになっていたのかは著者もわからないようであった。
著者は、アメノミナカヌシがニニギの母神であるタクハタチヂヒメの祖父と考えられていたので外宮を皇祖神を祀る神社にするためにそうしたのではないかと推論していた。

今でこそ、日ユ同祖論が頻繁にメディアで紹介され、籠神社の宮司さんの神道は唯一神であるという論文を飛鳥昭雄さんらが紹介するなど、その認識も広まってきた感があるが(籠神社は外宮の元宮なのでそうなるのかもしれないが、、、)
この本を読んで平安時代にすでにその認識があることが分かった。
ようするに神道は多神教ではなく、超越的なものがすべてに遍在するという道教の思想をもちいて、アメノミナカヌシがすべての事物に遍在すると説明したものである。
アマテラスもその化身である。仏もそうであろう。

唯一神に庇護された神国としての優越意識、行き過ぎると危ないが
やっぱり十支族の末裔なんだろうか?
伊勢神道の成立と展開
高橋 美由紀
ぺりかん社
2010-07T


伊勢神道の成立と展開
伊勢神道の成立と展開
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以前に蘇我氏の出自がはっきりしていない。
どこかということで伊勢ではないかと書いたが、
蘇我氏は東海的だと思う
 子供につける名前が海洋的である
 馬子が嶋大臣と名乗る
 馬子が書いたとされる先代旧事本紀大成経が志摩市で発見された
 欽明天皇の最初に建てた寺が伊勢の朝熊山であった
 名前がユダヤ的なのと猿田彦の風貌がユダヤ人的な関連
 伊勢神宮のユダヤ的な要素
 伊勢に入った天皇は蘇我の娘しかいない
などから推測していた。

櫛田神社の由緒では、ヤマト姫を案内した大若子という度会氏の祖が国の名前を聞かれて答えたのが百張蘇我国五百枝刺竹田の国だと答えたということを知った。

蘇我氏の祖は武内宿禰であるから、さらにそれより古い時代に蘇我国を名乗っていたことになる。
そこまで古いと本当なのかどうなのかわからないと言えばわからないが
神社の由緒にあるというのは何らかの関係があったとは思われる。

となると、なぜ天皇は伊勢に斎王というあたかも人質のように娘を差し出していたのか?
それは滅ぼした蘇我氏の祟り鎮めということなのだろうか?
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日本語は不思議だと思った。
それは他の言語は好き放題に発音していて、発音に文字を当てはめることが難しくて整合性がむちゃくちゃになっている感じである。
英語は、aと書いて、aと発音したり、時にはeと発音したり、eiと発音したりして混乱している。

でも日本語は子音と母音がものすごく規則性があって、50音に並べられる。そしてほぼ例外なく文字と発音が一致している。
「は」をwaと発音したり、「へ」をeと発音したりすることがあるが、それも完全にパターンが決まっている。

まるで文字と同時に生み出されたか、文字を作ることを意識してそれに都合がいいように発音していたかのようである。
ひょっとして自然発生した言語ではなかったのか?
すでに文字をもってた民族が人工的に考えてつくった?

それにしては、文字を書き始めたのは西暦数百年とものすごく遅い。
不思議だ。
神代文字があったという説があるが、それならかなを作る必要がなかった。なぜそれを捨てたのかよくわからない。

それか、整合性がとれるように絶えず文字も発音も進歩させているだけなのか?
昔はいろいろ発音とは違う記述をしてたからなあ
「でせう」と書いて「でしょう」と発音したり、「にほう」と書いて「におう」と発音したり。
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水田稲作は紀元前1000年ころに朝鮮を経由して伝わった。
環濠集落を作るのが特徴である。
その時土器も一緒に持ってきている。

環濠集落や渡来系土器が松阪の金剛坂遺跡という所でも発掘されている。
紀元前5世紀ころの遺跡だそうである。

環濠集落は必ずしも住む場所ではなくて貯蔵庫であった。
つまり、敵から身を守るためというより動物被害を防いでいる感じである。

富んだ渡来人が敵から身を守るためという定説は疑問であるとの事である。
渡来人と現地人は友好関係にあったとみている。
また弥生時代に小国の首長などが出現していたという定説にも疑問を呈している。
もっと平等な社会であったのではという見解であった。

ここからは私見であるが、日本は海賊の国でもあったのではないかと思う。
縄文時代にすでに沖縄から北海道まで地場産物を交易している。
よって航海術を持っていた。
つまり渡来人ではなくて女の奴隷を朝鮮から連れてきたのではないか?

なぜそう思うかと言うと、日本人の遺伝子分布である。
現代人の男系遺伝子は日本固有が7割方で女系遺伝子は9割がた渡来系である。
このような訳の分からない分布は渡来では説明しがたい。
女だけが日本に渡来するというのは考えにくい。

魏志倭人伝には、倭国は大人小人問わず一夫多妻であると記されている。
このような事は他所から女を連れてこなければ生物学的には成り立たないシステムである。
朝鮮や大陸から連れてきていたのではないか?
三国史記には倭国が2,3年に1回のペースで海岸を侵略して困っていると書かれている。目的はかかれていないが、、、

稲作や土器作りは女の仕事だったように思う。
土木は男がやるとしても女が奴隷として連れてこられて稲作作業に従事したのではないか?
そして金属器をつくるのは男の仕事だったから技術の伝来が1000年も遅れたのではないだろうか?
渡来人が集団移住してきたのなら稲作と金属器は同時でないと不自然に思える。

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