イエスも釈迦もすべてを疑え、この世の中に絶対というものはない。
あるとしたら宇宙を創造したものだけだ。それは見ることも聞くこともできない。
それ以外のものはすべて疑え。と説いたのではなかったのか?

しかし、皆がやっていることはその逆である。
弱さゆえに何かを信じたい。すがりたい。
そして私を信じろ、これが真実だ。これが絶対の正義だ善だと主張するものが後を絶たない。
それはなぜかといえば、そう主張するものが利益を得れるからである。
そして信じたものは搾取される。

何かを信じれば信じるほど、相反するものと対立せざるをえない。
相反するものを憎み、嫌い、せん滅することも是とならざるを得ない。
つまり、信じることがいけないのである。
それこそ執着である。

そう考えると本当は信じてはいけない。
しかし、そのような人は忌避される。人でなしと言われる。
村八分である。
おそらく、この世の中は信じることに対してポジティブな感情をもつように洗脳されているように思える。
そしてもっとも疑わねばならないのは、自分自身であろう。