セミリタイア日記

48歳でセミリタイアした独身男が暇にまかせて恥も外聞もなく好き放題書いちゃうBLOG

2020年09月

日々苦しみに耐えていると死んだら楽になれると思ってしまう。
自分も死に場所を探してさまよった身だ。怖くて死ねなかったが

我慢してたらその内いいこともある的ななぐさめを言うつもりはない。
しかし、同じ天国でも生きながら天国に行ける方法がある。
それはセミリタイアである。

それは、寝たいときに寝れて、食べたいときに食べれる。働きたくなれば働ける。
それはまさしくこの世の天国であろう。
ちょっと予想が難しいかもしれないが

もし天国に行きたいと思ったら、セミリタイアする方法がないか考えてからでも遅くはない。

仕事なら2週間前に申し出れば辞めることができる。それは法律で保障されている。
休職という制度もある。
それに関しては心配することはない。

他の原因であってもなんらかの方法はないか?
憲法ではどんなダメ国民にも最低限の生活をさせる努力が行政にかせられている。
なにか方法があるかもしれない。

逃げて恥をさらしても1年あれば忘れる。

迷惑をかけるにしても、死んで迷惑をかけるよりはましだ。
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社会につながる事、豊かな人間関係が幸福の条件だったと思うが、もっともそれを実践してそうな皆から好かれ、交友し、悪いうわさ一つも聞かないような人が次から次へと自殺していく。
一方私のような社会から断絶し、交友もない、社会からクズ扱いされるような人が幸せを謳歌している。
おかしくないか?

逆なんじゃないか?
社会から離れろ、殺されたくなければ今すぐ逃げろ
それが正解なんじゃないか?

社会は恐ろしいことを人々に要求しているんじゃないか?
それは家族だけでも人間関係を保つのは困難なのに、その上他人ともそれを保てと、好かれ続けろ。
そんなことはイエスの人格をもってすらできなかったことである。
まあイエスはそんなことは望んでいなかったろうけど

弟子に裏切られ、病気を治してあげた市民には唾を吐きかけられ、為政者には十字架にかけられた。
それが社会である。

イエスですら不可能だったことを凡人に要求しているのだとしたら、それはまさしく悪魔ではないか?
他人に好かれ続けなきゃいけない。それは一つの地獄ではないか?

社会とはなにか?
その社会の声なるものを発信しているのは、大半が上流の人やなんらかの政治的意図を持った人ではないか?
つまり、他人がどうなろうと何も困らない人たちだ。他人を操作して利益を得る人たちだ。
自分も発信しているので人のことは言えないが、、、

そんな人たちに好かれてなんか意味があるのか?
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昔、芸能人でムキムキですぐに服を脱ぐ人をバカじゃないかと思っていた。
たいしてかっこいいとも思わないし自分はそういう人を心底バカにしていると思っていた。
しかし、いま筋トレをやって3年たった後から考えると、どうもそれはうらやましかったのかもしれないと思い始めてきた。
自分がピチTシャツを着れるようになって大喜びしているからだ。
それは脱ぐ奴と精神的に何が違うのか、たぶん一緒だ。

要するに意識して思っている事というのは、本心の打ち消しなのかもしれない。
かなわない事やえられない事が不愉快であるため、その心的防御なのかもしれない。

そうすると俺は上司のことを心底バカにしていたと思い込んでいたが、うらやましかったのか?
他人から認められる上司がうらやましかったのかもしれない。
しかし意識の上ではあんな風には絶対なりたくないと今でも思っているのに、、、

リア充をアピールする奴にイラっとしてしまう。
そんなに認められたいか、馬鹿じゃねーかとおもってしまう。
これもやばいのかもしれない。羨ましがっているとしたら、自分こそ承認欲求のかたまりになってしまう。
これほど承認欲求を貶める記事を書いてきたのに、、、

でもあながち否定できない。
他人に正反対の反応をされて驚く。
自分ながらいいと思っているものは見向きもされない。しかし自分がいまいちだと思っているものが褒められたりしている。
そんなことばかりだ。そして他人が怖い。
他人の目などどうでもいいのなら他人が怖いのはおかしい。

自分の顕在意識がゆがんでいて自分に関する物事を正反対に感じているのだろうか?
しかしそうすると自分の感覚が全く信じられなくなってくる。

どうしたらいいのか?
他人の考えを推し量るのをやめた方がいいのかもしれない。それは自分の推測とは反対であるかもしれない。
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FIREの取り崩しルールが資産の4%だというのに対し自分の場合3.5%くらいだ。
それはなにか計画があったわけでなく、家計簿をつけてぜいたくせずに無理なく暮らせるのは年間200万円だとわかった。その時もってた資産との比率が3.5%だったというだけだ。
だから考え方の順序が逆だ。
目標では180万円をめざしているのだが、今のところ達成できた年はない。

もちろんFIREのようにフルで投資してないので、今ところ3割くらいなので年々資産は減っていく。
したがって取り崩し%も徐々に上がっていく。

でも、死ぬとき余ってもどうしようもないので別にいい。
それよりもフルでやった時の精神力が持つかどうかの方がよほど害悪だ。

今の予定で言うとちょうど投資分が年金受給時の余裕資金になる計算である。
そして年金をもらうようになったら足りない分を投資分から崩していく予定だ。
だから余裕はあるのではと思われる。

想定外の出費があっても何百万単位というのはなかなかないだろうという気もする。
暴落したり、災害で家を失うなどしたらそれはどうしようもないが。
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幸福の条件は地位財より人間関係だという論調に若干危ういものを感じるのは、うまく人間関係が築けない人が地位財にすがる部分もあるのではと思う。
孤独になる恐怖を逃れるためだったりそういうことではないのだろうか?

そのような人に、だめだ人間関係こそ大事だというのは溺れる者をたたく行為だ。
それはますます絶望の淵に叩き落すことになりかねない。

つまり、地位財も人間関係もなくても大丈夫だから安心しろといった方がいいのではないか?

地位財も人間関係ももちろんあった方がいい。
しかし、あくまでもあった方がいい程度のものだといわないと、こんどは人間関係に依存してしまう。
それも囚われ以外の何物でもなくなる。

確かに一昔前なら、人間関係なしで生きてはいけなかったかもしれない。

しかし今はどうだろう、人間関係を築くことが難しい人でもなんとかなる。
実際自分は、今人間関係がおそろしく希薄であるが、なんとかなっている。
むしろ会社員時代より圧倒的に幸福である。

これをしらしめないと、いつまでも孤独にたいする恐怖に振り回されてしまうのではないだろうか?
実際自分も孤独に対する恐怖に最近まで縛られていた弱い人間の一人である。
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