セミリタイア日記

48歳でセミリタイアした独身男が暇にまかせて恥も外聞もなく好き放題書いちゃうBLOG

2019年05月

戸棚を一つ断捨離できた。 もともと使ってない物とかを入れてた棚なのでいらないものを捨てると他の場所に収納できるので1個の棚を断捨離できた。
レンジ台と戸棚がなくなったことによりダイニングが広くなって快適性が向上した。

圧迫感がなくてゆったりと座れる感じがする。 これが本来の姿だと思った。

ここまではいいのだが、もう一つの食器棚に入っている食器の数がすごい。
なんで昔の人はこんなに食器が必要なのかと思う。一生使いきれない量がある。
惣菜をかうとプラスチックトレイにのってくるので食器いらない。

昔は大勢のお客さんとかを接待しないといけなかったのかもしれない。 それが本来の人間的な社会生活なのかもしれないが大変だっただろうなとしか思えない。

どう考えても1人では使わないものが大半なので捨てても全く問題がないのであるが、もったいなくて捨てれない。 でもいつかは誰かが処分しなければならない物ではある。

いままだ心理的にいっきに捨てる決心がつかないので、ちょっとでもひび割れている物とか古い物はどんどん捨てていこうと思う。
それで新しいのをどんどん使っていって、またちょっとでもひび割れたりしたら捨てて徐々に数を減らして行けば、長い時間がかかるかもしれないが食器棚を断捨離できないだろうかと考えている。

食器棚がなくなったらそうとうスペースの解放感が違ってくるような気がする。 ただいつの話になるだろうか予測がつかないが、、、 ミニマリストはやっぱ使える物でも思い切りよく捨てるのだろうかな?
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なぜセミリタイアが理解されないのかと言えば、それはかっこ悪いからじゃないだろうか?

献身、忠臣、義理がたい、不屈の精神とか、一つの物を極めるとかなにかこう自己犠牲的で困難に負けずになにか大義に突き進むものをかっこいいと思うわけで

それに対してかなり自己本位的で緩い方向性の振舞であるセミリタイアはそういう物とは対極にあると言えばその通りであり、これはかっこいいかと言われるとなかなか難しいわけで
たしかに人にセミリタイアしてるとはちょっと言いにくい。
同窓会も逃げまくっている。

別に自分が幸せで穏やかなので生活としては一番いいのであるが、どうしてもかっこ悪いと感じてしまうのではないだろうか?
あるいはかっこ悪いと思われてしまうと思い込んでるのではないだろうか?

だからいくら内心うらやましくてもだれも目指さない。
たしかに良いような気がするが俺は止めとくみたいなのが大半なのかもしれない。
どうしてもそこにはかっこ悪いと思われる事への恐怖があるように思う。

だからなんだかんだと言って、世間受けのいい事をセミリタイアした後も目指してしまう事になるんじゃないだろうか?
ブログが世間受けがいいかどうかわからんが、ブログで困っている人の役に立てたらみたいなw

いまさら挽回しても仕方ないから必要ないかもしれん。
かっこ悪い方が楽なのかもしれん。

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外で庭の草を引いてると、世の中の喧騒がだんだん非現実的な事柄に思えてくる。映画や小説の話なのではないかという感覚になってくる。

ひどいニュースをみてあーでもないこーでもないと騒いでいる。
貿易摩擦だ、年金がどうなる、雇用がどうなると

それらがこの青空やこの木々にどれほどの影響を及ぼしているのか
そんな喧騒とは関係なく、周りは穏やかで変わらぬ時間が淡々と流れていってるだけだ。

つい2,3年前まで自分もその喧噪の中に居た。
いったい何をそんなに焦っていたんだろうな
何を求めてあんなに競争したり言い争ったりしてたのかだんだん分からなくなってくる。
ジャングルの裸族が先進国を眺めたらそんな気持ちになるのだろうか?

でも確かにそれは現在働いている人には現実に差し迫った話であり、早急にどうにかしないとやばい事柄なのである。
なにがやばいかはわからんが
スピードを落としたくてもアクセルを戻せないのだ。
踏み間違いじゃないけど

自分の身にそれらが降りかかったきたら、また現実の話として襲いかかってくるのかもしれない。
そうなったら、こんな状況から再び戻れるだろうか?
そうならない事を祈るしかない。

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ホームページで自転車のペダルに足を乗せる位置が書いてあって、それによるとなんと、つま先よりに足を乗せて、親指の付け根のところで踏むのが正解という事である。

自分はほぼ真ん中の土踏まずのあたりをペダルに乗せていた。

正式な位置に足を乗せてみると、坂道でふくらはぎがきつかった。
これが正解ってうそだろとおもってたのだが、でもサイクリングシューズはそうなっているらしいし
いろいろためして足首を柔らかくして若干前蹴りみたいなイメージの漕ぎ方にすると登り坂で足が疲れなくなった。

これまでは太ももの筋肉だけでこいでいたのかもしれない。
新しいこぎ方だと太ももとふくらはぎの両方を使うので力が倍になって筋肉の負担も分散されたのかもしれない。
だからサイクリングのあと足が全体的にバランスよく疲れている気がした。

これにより、サドルもやや上に上げることになった。
いままで他人の自転車を見てサドルが高いので皆足長いなと思っていたのだが、漕ぎ方の問題もあったのかもしれない。

これだと山登りが有ってもある程度行けるかもしれない。
しかし一年も気づかないでいたという。

進歩があればまた楽しみにもなるという物である。
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セミリタイアは非常に合理的な行為だと思う。
セミリタイアブログを見てもほぼみな幸せだと語っている。
という事はそれは人生として合理的な生き方であるはずである。
しかし、現実はだれもそう思っていない。むしろ嫌悪対象である。

つまり人間は合理的な判断をしない生物ではないかと思う。
判断を間違うくらいならまだましな方で、最悪の選択をする生き物である。
これはどうしたことであろうか?

おそらく、合理的な判断をするとかえって遺伝子を残せなかったのだろうと思う。
自然淘汰が働いたのだと思う。

遺伝子を残せた人と言うのは他国を侵略し男を虐殺、女や物を略奪できる人たちであった。それらが英雄であった。
つまり、合理性とは正反対の血沸き肉躍るようなある意味狂気をはらんだ人たちが遺伝子を残していった。
また女性もそのような男性を選択したのだろうと思う。

そのような遺伝子に支配されている以上合理性は嫌われるのだと思わざるを得ない。
しかし、嫌われることを覚悟して合理性をとるのなら幸せになれるのかもしれない。
ただしそれに気づけるかどうかである。

たぶんほとんど気づけないんだと思う。

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