セミリタイア日記

48歳でセミリタイアした独身男が暇にまかせて恥も外聞もなく好き放題書いちゃうBLOG

2017年11月

南伊勢町の東宮という所に代々伊勢神宮に奉納している特別な土があるという話を聞いた。
なにかの葉っぱで包んで奉納するらしい。
地元の資料保存館の説明員の方に聞いたのだが、どんな土なのか忘れてしまった。
粘土質だと言っていたような気もする。

東宮資料保存館
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そうすると土器とか埴輪用の土だろうか?
なぜ南伊勢町の土でないといけないのかよくわからないが、

思いつくのは、天香具山の土である。
天香具山の土は、その土がないと王権をとれないくらいの土である。
神武天皇が東征の時、わざわざ家来を変装させて香具山の土を取ってこさせた。
それで瓦を焼いて占ったという。
なぜそれほど重要なのかよくわからないが、、、

どちらの土も似たような印象ではある。

南伊勢町の東宮の前には高山がある。
高山は昔かぐやまと呼ばれていた可能性がある。それは万葉集で高山と表記して香具山の事を歌っているからである。
従って南伊勢町の高山というのはかぐやまだったのかもしれない。
東宮という名前もなにか皇太子でもいらっしゃったのだろうかというような地名である。
こんな田舎に皇太子が?という感じである。

この高山は、高さ500mと登るには手ごろであるし、鹿もいるだろう。海も見えるし、杉やみかんも生えてそうだ。
つまり記紀や万葉集に歌われている香具山に近いイメージを持っている。

奈良の香具山は高天原の香具山のかけらが降ってきたという話だが、本当の香具山は高山かもしれない。
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上野城に行ってきた。

木造でかっこいい城であった。
駐車場は500円で入館料は500円であった。
ただし、5層用の石垣に3層の天守を建てたので城が石垣とずれているのが惜しい感じ。
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天守近景
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天守からの眺め 南
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天守からの眺め 西
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天守からの眺め 北
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天守からの眺め 東
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城の後ろの高い石垣
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俳聖殿
 上野城のすぐ横にある。
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伊賀流忍者博物館
 上野城のすぐ横にある。
 看板の後ろにくの一役の方が写ってます。結構かっこいい。
 入館料756円だった。こまかい値段設定であった。忍者ショーはさらに400円かかるので見なかった。
 忍者屋敷では説明員が忍術の実演を交えて説明してくれた。
 忍者は情報を伝えるのが仕事なのでなんとしてでも生き延びないといけない。だから逃げるのが第一だそうだ。
 やむを得ず戦うときは相手の足を切って殺さない。情報を引き出せるかもしれないからである。
 殺人マシーンと思ってたら違うようである。
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忍者史料館
 忍者の道具などの展示があった。
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日本の暦は昔は太陽太陰暦で、月の満ち欠けで日にちが決まってて、朔日(ついたち)というのは新月という意味らしい。十五夜近辺が望月(満月)であった。
ただし、太陽の1年の周期と月の周期はずれているので、太陰暦だけだとどんどん季節がずれてしまうので3年に一度元に戻すためにうるう月というのを入れていた。
3年に1か月分季節がずれていたのか、結構でかいな。

祭とかも新月や満月にやる事が多かったという事である。

月読命が治めた国は夜の食国である。
食べ物は月と密接な関係にあるということで、初めて収穫したものも満月の日に供えないといけないのかもしれない。

日本は太陽神が重要視されているが、本来は日月星すべて重要だったのであろう。
それが、明治維新でむちゃくちゃにされたという事である。
記紀でも太陽神しか重要視されてないような気もするが、、、
どういうことだろうか?

記紀の時代にすでにむちゃくちゃにされてしまったのであろうか?
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ちょっと何かあると、すぐに自己嫌悪に陥り反省して縮こまる。
それで以降なにか好転できたのならいいが、できたためしがあまり思いつかない。
それなら逆に反省などしない方がいいのではないか?
するだけ無駄ではないか?

世の中見てると、反省しない人の方が圧倒的に魅力的である。
開き直っても選挙に当選していく人もいる。
自分に問いかけてあんた選挙に通るだけの魅力があるかと言われたら絶対ない。
当選できるというのはそれだけの魅力があるのであろう。自分には分からんが

記紀を見てもこれが神様でいいのかと思うような神様ばかりである。
まさにやりたい放題なのだ。
反省しているそぶりもない。そんなことしたら魅力が半減するかもしれない。
一番ましな感じに書かれているのは大国主だが、それでも見境のない女好きだ。嫁さんも泣かしている。
男の神様はほとんど女好きだが
それでも余りあるメリットをもたらし魅力的なのである。

何の非もないようなオモイカネなどはそれこそ官僚みたいな感じだ。
そんな感じの人が好きな人もいるかもしれないが魅力はあまりない。逆に言えば面白くないというのが非である。

ということは反省などするのがそもそも間違いなのではないか?
反省して自信がなくなり、活発でなくなり引きこもっていく。
反省したり謝ったところで、結果が無しになるかというとならないし許されるわけでもない。
不完全でいいんだと言っているのかもしれない。

それでも、自分の非をどうやって気にしないでおくことができるか分からない。
サイコパスなら別かもしれないが、普通の人にできるだろうか?
縮こまって小さな善良な人間になってしまうのが普通なのではないだろうか?
それはそれで悪くはないといえばそうであるが、、、

まず相手の気分を害したくらいの事は非ではないと思わないといけないかもしれない。こちらに悪気が無かった以上、それは相手の問題ということであって自分の責任ではない。
これを言い聞かせないといけない。
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ホツマツタヱは偽書と言われている。
中世か近代に創作されたものと考えられている。

理由は48文字の音順が洗練されすぎていることと、万葉集や記紀で使われていない「ん」が入っていることである。
音の並び順には粒が集まって風になり、火になって上昇し、冷えて水になり、それが固まって埴になるという近代の科学知識がないとできないような並び順になっている。→密教の5大説、地、水、火、風、空から来ているかもしれない。密教がすごいのか 2018/11/13

たしかに、景行天皇の時代にこれほど洗練された表音表意文字があったとしたら、古事記で苦労して万葉仮名というようなかなり発展途上の試行錯誤的な記述はする必要がないわけだからそう考えるのも当然である。

そして、文字が書かれた遺跡が全くでないというのは有りえないように思える。

ただし、近代に書かれた物であっても内容が全くでたらめかというのは別問題であるので注意が必要である。
ホツマツタヱの内容をみると、何もないところから創作するのはもちろん無理とおもわれ、神社伝承や種々の歴史書などを相当研究しないと書けないであろうことは分かる。

現在知られている記紀やその他の史書の内容は互いに矛盾しており、どれも内容がそのまま信じられる感じではない。正史である記紀にしても神話化や物語化されてしまっておりそのままでは事実をありのままに反映していないし、権力による改ざん説も取りざたされているような状況である。

ホツマツタヱは、これらの相矛盾する書物や神社伝承の内容を現実的な出来事として矛盾することなく、納得できるような内容に書いているわけであるが、もし創作だとしても相当なものではないかという気がする。
書かれた当時での歴史解釈書と呼んでも差し支えないのではなかろうか。

ではなぜ、神代文字などというような本人しか読めない文字を使って書かなければならなかったのかという疑問が生じる。

江戸時代、先代旧事本紀大成経という書物が出版された。
それは幕府から偽書と判定され発禁処分となり、さらに関係者は島流しになった。

つまり当時正史に反する内容を含んだ書物を発行すると罰せられる時代であったということだ。
その場合、表に出せないような研究成果を残すには暗号で書くのが一番である。
文字と音の対応表さえあれば、いつでも解読できるようにしておくのである。
時代が変わって自由な時代になってから世にだせばいいわけである。

それが1966年だったのかもしれない。
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