セミリタイア日記

48歳でセミリタイアした独身男が暇にまかせて恥も外聞もなく好き放題書いちゃうBLOG

2017年02月

昨日は住民税申告相談会があったので行ってきた。
所得がなかったので、住民税申告だけしたらいいと思っていたのだが、死亡した母の未払い年金30万円ほどを受け取ったのと、退職時の企業年金の退職一時金8万円ほどと一昨年の所得税還付金18万円の申告が必要となった。
それで証明書を家から持ってきて係りの人に手渡して申告してもらった。

結果的には基礎控除額38万円を上回らず所得税の計算は0円となった。

何が申告必要なのか聞いてみたら、ポイントや香典などは申告の必要ないということだった。
母の死亡保険金は200万円なので3000万円くらい以下(ちょっと正確性は欠く)なので申告不要だということだった。
ちなみに自分は失業保険は面倒だったのでもらわなかった。

来季の住民税はいくらになるのか聞き忘れた。
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万葉集で謎とされてるものの一つに飛鳥に関する歌が今の明日香地方とは思えないというのがあります。
例えば
巻一(二)
天皇の、香具山に登りて望国(くにみ)したまひし時の御製歌
大和(やまと)には 郡山(むらやま)あれど とりよろふ 天(あま)の香具山(かぐやま) 登り立ち 国見(くにみ)をすれば 国原(くにはら)は 煙(けぶり)立つ立つ 海原(うなはら)は 鷗(かまめ)立つ立つ うまし国そ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は 
大和には多くの山があるけれど とりわけ立派な天の香具山 その頂に登って大和の国を見渡せば 土地からはご飯を炊く煙がたくさん立っているよ 池には水鳥たちがたくさん飛び交っているよ ほんとうに美しい国だ この蜻蛉島大和の国は
これは有名ですが、天の香具山からは海は見えません。ここで言う天の香具山とは志摩から大和方面を見た時に見えるきれいな山のことではないでしょうか?
巻一(五十一)
采女(うねめ)の袖吹きかえす明日香風(あすかかぜ)都を遠みいたづらに吹く
采女の袖を明日香の風が吹きかえしているよ。いまはもう京も遠くなりむなしく吹くことだなあ。
藤原京からわずか数kmしか離れてないところを遠いと言って懐かしむでしょうか?
巻二(一六二)
天皇の崩りましし後八年の九月九日、奉為(おほんため)の御斎会(ごさいゑ)の夜に夢(いめ)のうちに習(なら)ひ給へる御歌一首 古歌集の中に出づ
明日香(あすか)の 清御原(きよみはら)の宮に 天(あめ)の下 知らしめしし やすみしし わご大君 高照らす 日の御子(みこ) いかさまに 思ほしめせか 神風(かむかぜ)の 伊勢の国は 沖つ藻も 靡(なび)ける波に 潮気(しほけ)のみ 香(かを)れる国に 味(うま)ごり あやにともしき 高照らす 日の皇子(みこ)
明日香の浄御原の宮に、天下をお治めになられたわが大君、天高き日の御子よ。いかなるお心ゆえか神風の吹く伊勢の国は海の底の藻も靡く波に、潮気だけが香れる国に…(おいでになってしまわれた)、織り目も美しい綾のように、あやに慕わしい天高き日の御子よ。
どう見ても伊勢のあたりの歌としか思えないです。
巻二(一六七)
日並皇子尊(ひなめしのみこのみこと)の殯宮(あらきのみや)の時に、柿本朝臣人麿の作れる歌一首并せて短歌
天土(あめつち)の 初(はじめ)の時 ひさかたの 天(あま)の河原(かはら)に 八百万(やほよろづ) 千万神(ちよろづがみ)の 神集(かむつど)ひ 集ひ座(いま)して 神分(かむあが)ち 分(あが)ちし時に 天照(あまて)らす 日女(ひるめ)の尊(みこと) 天(あま)をば知らしめすと 葦原(あしはら)の 瑞穂(みづほ)の国を 天地の 寄り合ひの極(きはみ) 知らしめす 神の命(みこと)と 天雲(ぐも)の 八重かき分けて 神下(かむくだ)し 座(いま)せまつりし 高照らす 日の皇子は 飛鳥(とぶとり)の 浄(きよみ)の宮に 神(かむ)ながら 太敷(ふとし)きまして 天皇(すめろぎ)の 敷(し)きます国と 天の原 石門(いはと)を開き 神あがり あがり座(いま)しぬ わご王(おほきみ) 皇子(みこ)の命(みこと)の 天の下 知らしめせば 春花(はるはな)の 貴(たふと)からむと 望月(もちづき)の 満(たたは)しけむと 天の下 四万(よも)の人の 大船(ふね)の 思ひ憑(たの)みて 天つ水 仰(あふ)ぎて待つに いかさまに 思ほしましか 由縁(つれ)もなき 真弓(まゆみ)の岡(をか)に 宮柱 太敷き座(いま)し 御殿(みあらか)を 高知りまして 朝ごとに 御言(みこと)問はさぬ 日月(ひつき)の 数多(まね)くなりぬる そこゆゑに 皇子の宮人 行方知らずも
天地創造のはじめのときに遥か彼方の天の河原に、八百万、一千万の神々がお集まりになって、神々をそれぞれの支配すべき国々に神としてお分かちになったとき、天照大神は天を支配されるというので、その下の葦原の中つ国を天地の接する果てまで統治なさる神の命として、天雲の八重に重なる雲をかき分けて神々しくお下りになった天高く輝く日の皇子は、明日香の浄御原の宮に神として御統治なさり、やがて天上を天皇のお治めになる永生の国として天の石門を開いて神としてお登りになった。その後わが大君たる皇子の尊が天下を御統治なさったなら、春の花のように貴いことだろうと、満月のようにみち足りることだろうと、天下のあちらこちらの人々がまるで大船のような大きな期待をもって、天からの慈雨を待ち仰ぐようであったのに、どうしたことか、ゆかりもない真弓の岡に宮殿の柱をりっぱにお建てになり宮殿を高々とお作りになって、毎朝の奉仕にもおことばを賜らぬ月日が多くなったことだ。そのために皇子の宮にお仕えした人々は、どうしたらよいか途方にくれているのです。
内宮の歌ではないだろうか?今の明日香に大船を浮かべるような大河とか湖があるのだろうか?
巻二(一六八)
ひさかたの天(あめ)見るごとく仰ぎ見し皇子(みこ)の御門(みかど)の荒れまく惜(を)しも 
はるか天を見るように仰ぎ見た皇子の御門の荒れてゆくだろうことが惜しくて仕方がないよう
巻二(一七三)
高光るわが日の皇子(みこ)のいましせば島の御門(みかど)は荒れずあらましを
高く輝くわが日の皇子が生きていらっしゃったなら、島の御門はこんなにも荒れることはなかったのに
これらは草壁皇子が死んだ時の島の宮の歌であるが、すぐ近くなのだからいつでも手入れできると思うが、、、
ちなみに志摩の伊雑宮には島の宮と同じように勾玉の形をした池があります。
巻二(一八一)
み立たしし島の荒磯(ありそ)を今見れば生(お)ひざりし草生ひにけるかも
草壁皇子がかつてお立ちになった庭園の島の荒磯を今見ると、生前には生えていなかった草が生えています。
大和に荒磯はないです。
巻二(一九六)
明日香皇女(あすかのひめみこ)の木瓲(きのへ)の殯宮(あらきのみや)の時に、柿本朝臣人麿の作れる歌一首并せて短歌
飛鳥(とぶとり)の 明日香(あすか)の河の 上(かみ)つ瀬(せ)に 石橋(いしはし)渡し〔一(ある)は云はく、石並(な)み〕 下つ瀬に 打橋(いちはし)渡す 石橋に〔一は云はく、石並みに〕 生(お)ひ靡(なび)ける 玉藻もぞ 絶ゆれば生(お)ふる 打橋に 生(お)ひををれる 川藻もぞ 枯るればはゆる 何しかも わご大君の 立たせば 玉藻のもころ 臥(こや)せば 川藻の如く 靡かひし 宜(よろ)しき君が 朝宮を 忘れ給ふや 夕宮(ゆふみや)を 背(そむ)き給ふや うつそみと 思ひし時 春べは 花折りかざし 秋立てば 黄葉(もみぢば)かざし 敷栲(しきたへ)の 袖(そで)たづさはり 鏡なす 見れども飽かず 望月(もちづき)の いや愛(め)づらしみ 思(おも)ほしし 君と時々 幸(いでま)して 遊び給ひし 御食向(みけむか)ふ 城上(きのへ)の宮を 常宮(とこみや)と 定(さだ)め給ひて あぢさはふ 目言(めこと)も絶えぬ 然(しか)れども〔一(ある)は云はく、そこをしも〕 あやに悲しみ ぬえ鳥(とり)の 片恋嬬(づま) 〔一は云はく、しつつ〕 朝鳥の 〔一は云はく、朝霧の〕 通はす君が 夏草の 思ひ萎(しな)えて 夕星(ゆふつつ)の か行きかく行き 大船の たゆたふ見れば 慰(なぐさ)もる 情(こころ)もあらず そこ故に せむすべ知れや 音のみも 名のみも絶えず 天地(あめつち)の いや遠長(とほなが)く 思(しの)ひ行かむ み名に懸(か)かせる 明日香河(あすかがは) 万代(よろづよ)までに 愛(は)しきやし わご大君の 形見(かたみ)かここを
飛ぶ鳥の明日香の川の川上に石橋を渡し〔一は云はく、石を並べ渡し〕、川下に木を打って橋を渡す。石橋に〔一は云はく、石の並びに〕生えて靡く美しい藻は、なくなってもまた生える。木の橋に生えて覆える川藻も、枯れてもまた生えてくる。それなににわが皇女は立たれると美しい藻のように、横たわると川藻のように靡いてむつみあった夫君の朝の宮をなにゆえお忘れになったのだろうか。夕べの宮をお去りになったのだろうか。この世の人と思っていた時には春には花を折って髪にかざし、秋になると黄葉をかざし、敷栲の袖をたずさえては鏡のように見ても飽きない満月のように愛しいとお思いになっていた夫君と、おいでになって遊ばれていた御食を捧げる城上の宮を永遠の宮とお定めになり、味鴨を目で見ることも口で語られることもなくなってしまった。それゆえに〔一は云はく、そのことを〕とても悲しみ、ぬえ鳥のように片恋いする夫君〔一は云はく、片恋しつつ〕、朝鳥のように〔一は云はく、朝霧のように〕通ってこられる夫君が、夏草のように悲しみに萎れ、夕星のように行き交い大船の揺れるように動揺されるのを見ると、お慰めする心すら失われる。そこにどんな術があるというのだろう。皇女のお噂だけでもお名前だけでも絶やさず、天地とともに長く思い慕っていこう。お名前に懸る明日香川は永遠に愛おしい皇女の形見だろうか。ここは。
巻二(一六七)とにているが、こちらは外宮の歌ではないか?明日香に大船を浮かべるのは無理では?
巻二(一九九)
かけまくも ゆゆしきかも 言はまくも あやに畏(かしこ)き 明日香の 真神(まがみ)が原に ひさかたの 天(あま)つ御門(みかど)を かしこくも 定めたひて 神さぶと 盤隠(いはがく)ります やすみしし わご大王の きこしめす 背面(そとも)の国の 真木(まき)立つ 不破(ふは)山越えて 高麗剣(こまつるぎ) 和暫(わざみ)が原の 行宮(かりみや)に 天降(あも)り座(いま)して 天(あめ)の下 治(をさ)め給ひ 食(を)す国を 定めたまふと 鶏(とり)が鳴く 吾妻(あづま)の国の 御軍士(みいくさ)を 召(め)し給ひて ちはやぶる 人を和(やは)せと 服従(まつろ)はぬ 国を治めと 皇子(みこ)ながら 任(よさ)し給へば 大御身(おほみみ)に 太刀(たち)取り佩(は)かし 大御手(おほみて)に 弓取り持たし 御軍士を あどもひたまひ 斉(ととの)ふる 鼓(つづみ)の音は 雷(いかづち)の 声(おと)と聞くまで 吹き響(な)せる 小角(くだ)の音も 敵(あた)見たる 虎(とら)が吠(ほ)ゆると 諸人(もろひと)の おびゆるまでに 捧(ささげ)げたる 幡(はた)の靡(なびき)は 冬ごもり 春さり来れば 野ごとに 着(つ)きてある火の 風の共(むた) 靡くがごとく 取り持てる 弓弭(ゆはず)の騒(さわき) み雪降る 冬の林に 飃(つむじ)風かも い巻き渡ると 思ふまで 聞(き)きの恐(かしこ)く 引き放(はな)つ 矢の繁(しげ)けく 大雪の 乱れて来(きた)れ 服従(まつろ)はず 立ち向かひしも 露霜(つゆしも)の 消(け)なば消(け)ぬべく 行く鳥の あらそふ間(はし)に 渡会(わたらひ)の 斎(いつき)の宮ゆ 神風(かむかぜ)に い吹き惑(まど)はし 天雲(くも)を 日の目も見せず 常闇(とこやみ)に 覆(おほ)ひ給ひて 定めてし 瑞穂(みずほ)の国を 神(かむ)ながら 太敷(ふとし)きまして やすみしし わご大君(おほきみ)の 天の下 申(まを)し給へば 万代(よろづよ)に 然(しか)しもあらむと 木綿花(ゆふはな)の 栄ゆる時に わご大君 皇子(みこ)の御門(みかど)を 神宮(かむみや)に 装(よそ)ひまつりて 使はしし 御門(みかど)の人も 白栲(しろたへ)の 麻衣着(あさごろも) 埴安(はにやす)の 御門の原に 茜さす 日のことごと 鹿(しし)じもの い匍(は)ひ伏し(ふ)つつ ぬばたまの 夕(ゆふへ)になれば 大殿を ふり放(さ)け見つつ 鶉(うづら)なす い匍(は)ひもとほり 侍(さむら)へど 侍(さむら)ひ得(え)ねば 春鳥(はるとり)の さまよひぬれば 嘆(なげ)きも いまだ過ぎぬに 憶(おも)ひも いまだ尽(つ)きねば 言(こと)さへく 百済(くだら)の原ゆ 神葬(かみはふ)り 葬りいませて 麻裳(あさも)よし 城上(きのへ)の宮を 常宮(とこみや)と 高くしまつりて 神ながら 鎮(しづ)まりましぬ 然れども わご大君の 万代(よろづよ)と 思ほしめして 作らしし 香具山の宮 万代に 過ぎむと思へや 天(あめ)の如 ふり放け見つつ 玉襷(たまだすき) かけて偲(しの)はむ 恐(かしこ)くありとも
口にするのもはばかられることだけれど、ことばで言うのもまことにおそれ多いことだけれど、明日香の真神が原に天の朝廷をかしこくもお定めになって、神として岩戸に隠れておいでのわが大君が、お治めになる美濃の国の真木しげる不破山を越えて高麗の剣の輪、和暫の原の行宮に神としておいでになり、天の下を治め、国を平定なさると、鳥の鳴く東の国の軍衆をお召しになり、荒々しい人々をなごませ、服従しない国を統治せよと高市皇子に任命なさると、皇子はそのお体に太刀をつけられ御手に弓を取り持たれ軍衆を統率され、その軍衆を整える鼓の音は雷鳴かと思われるほど、吹き響かせる小角の音も敵を見た虎が吠えるのかと人々がおびえるまでに捧げた旗の靡くことは、冬も終わって春になるとあちこちの野につける野火の風とともに靡くように、兵士の手に取り持った弓の弭の動くことは、み雪降る冬の林につむじ風が吹き巻き渡かと思われるほど恐ろしく聞かれた。
引き放つ矢がはげしく大雪の乱れるように飛んでくると従わずに立ち向かってきた者たちは、たとえば露や霜がそのすぐ消えてしまうように、飛び翔る鳥のように右往左往しているときに、皇子は渡会の神の宮から吹く神風によって賊軍を吹きまよわせ、天の雲を、太陽の光も見せぬまでに真っ暗にめぐらして賊軍を平定なさった。
そして隅々まで統治なさるわが大君がこのみのり豊かな国に、神として君臨なさり、政治をお助けになったら万年の後までこのようであろうと木綿の花のように栄えているときに、わが大君、御子の御殿を神の宮として装いまつって、お使いになった御殿の人も、白布の麻の服をつけ、埴安の御殿の原に、茜色きざす日の間中、鹿のようにはらばい伏しつづけ、ぬばたまの黒々とした夜になると、御殿を遠くに見ながら、鶉のようにはいまわってはお仕えすれど、いつまでもお仕えすることも出来ないので、春鳥の声のようにあちこちとさまよえば、嘆きもいまだ新たに、お慕いする心も失っていないので、言も通わぬ百済の原を通って、神々しくも葬り申し上げ、麻の裳もよい紀という城上の宮を永遠の宮として高々とお作り申し上げて、皇子は神のままお鎮まりなさった。
それにしても、わが大君が万年の後までもとお考えになってお作りなさった香具山の宮は、幾年の後もなくなることが考えられるだろうか。
天を仰ぐように見ながら、玉の襷をかけるように心にかけてお慕いしよう。
恐れ多いことだけれども。
伊勢あたりのことを歌っているとしか思えない。
巻三(二三八)
長忌寸意吉麿(ながのいみきおきまろ)の詔(みことのり)に応(こた)へたる歌一首
大宮(おほみや)の内(うち)まで聞こゆ網引(あびき)すと網子調(あごととの)ふる海人(あま)も呼び声
行宮の内まで聞こえてきます網を引こうと網子を整える海人の呼び声が。
解説では難波に行幸したときの歌だということだが、行宮のことを大宮というだろうか?志摩の英虞湾の歌じゃないだろうか?
巻三(二五七)
鴨君足人(かものきみのたりひと)の香具山(かぐやま)の歌一首并せて短歌
天降(あも)りつく 天(あま)の香具(かぐ)山 霞(かすみ)立つ 春に至(いた)れば 松風に 池波立ちて 桜花(さくらばな) 木(こ)の晩茂(くれしげ)に 奥辺(おきへ)には 鴨妻呼(かもつまよ)ばひ 辺(へ)つ方に あぢむら騒(さわ)き 百磯城(ももしき)の 大宮人(おほみやびと)の 退(まか)り出(で)て 遊ぶ船には 梶棹(かぢさを)も 無くて不楽(さぶ)しも 漕(こ)ぐ人無しに
天から降りてきたという天の香具山に霞立つ春になれば、松風に池は波立ち、桜の花は木の下も暗くなるほど繁り、沖の方では鴨が妻を呼んで鳴き、岸の方では味鴨が鳴き、壮麗な大宮人が退出して遊ぶはずの船には、梶も棹もなく、漕ぐ人も無しに寂しいことです。
明日香で沖とか船とか無理じゃないだろうか?
巻三(二五九)
何時(いつ)の間(ま)に神(かむ)さびけるか香山(かぐやま)の鉾榲(ほこすぎ)が本(もと)に薜生(こけむ)すまでに
いつのまにか神々しくなってしまったなあ。香山の鉾のように立つ杉の根元に苔が生えるまでに。
いつも見えている天香久山をいつの間にかとか詠むだろうか?天の香具山に杉が生えるだろうか?
巻三(三二四)
神岳(かむをか)に登りて山部宿禰赤人の作れる歌并せて短歌
三諸(みもろ)の 神名備(かむなび)山に 五百枝(いほえ)さし 繁(しじ)に生(お)ひたる つがの木の いや継(つ)ぎ継(つ)ぎに 玉(たま)かづら 絶ゆることなく ありつつも 止(や)まず通はむ 明日香(あすか)の 旧(ふる)き京師(みやこ)は 山高み 河雄大(かはとほしろ)し 春の日は 山し見がほし 秋の夜(よ)は 河し清(さや)けし 朝雲(あさぐも)に 鶴(たづ)は乱れ 夕霧(ゆふぎり)に 河蝦(かはづ)はさわく 見るごとに 哭(ね)のみし泣かゆ 古(いにしへ)思へば
神の山に たくさんの枝が繁っている栂の木のようにつぎつぎに、美しい葛の途切れることなく伸びているように 何度も通いたくなる明日香の旧き京は、山も高く川も雄大に流れている。春の日は山を見たく思い、秋の夜は川がさやかだ。朝雲に鶴の群れは乱れ飛び、夕霧に蛙は鳴き騒ぐのを見るたびに、思わず泣いてしまうよ。古き昔を思い出して…
明日香に高い山とか大河があるのだろうか?すぐ近くにある古い都をここまで大げさに懐かしむものだろうか?
歌というのはそういうものだと言われればそうかもしれないが、、、
巻三(三三四)
わすれ草(くさ)わが紐(ひも)に付く香具(かぐ)山の故(ふ)りにし里(さと)を忘れむがため
わすれ草を私は紐に付けているよ。香具山の見える懐かしい故郷を忘れるために…
わずか数kmしか離れてない古い都の事をこんな大げさに懐かしめるものでしょうか?天の香具山は藤原京からもいつでも見えると思いますが、、、
訂正)すいません大伴旅人が大宰府で詠んだ歌でした。2017/2/28

歌の引用はホームページ「万葉集入門」からです。
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仕事でも結婚でも家族とかでもそうかもしれないけど、ただ生活のためにしていたり本能に従ってるだけの事柄をなにかものすごく尊い物であるかのように持ち上げすぎなんじゃないかと思う。

だいたい昔は結婚なんか親が決めてたり政略的にさせられたりしたようなものなんでしょ。
あるいは生活のためにはそうするしかないからしてたようなものでしょ。
お客さんが来たら、私の妻です。今夜はゆっくり楽しんでくださいみたいな、、、
それで借金のかたに子供売ったりとか

女性の裸とか一銭の価値もなかった。みな銭湯に一緒に入ってたり道端で行水とかしてたんでしょ。
それが今じゃ何かとてつもない価値があるみたいな風になってしまって。
逆にヨーロッパで男女で裸どうしが平気みたいなのをみて驚いてるような、、異常なのはこちらかもしれないわけで

中国や韓国の化粧は化け物に見える。でも彼女らはそれが美しいと思ってやってるわけでしょ。
日本も昔は超ダサいファッションだったわけだし、いや今も未来からみたら超ダサいのかもしれない。
場所によっても時代によっても全然異なる価値なわけで
どちらがいいか悪いかは知らないよ。そうだっていう事実があるだけだから。

絶対的価値というのは判断できないものかもしれない。
だれかそれっぽい人が価値があるといったらそう思い込むだけなのかもしれない。
芸能人格付けでガクトが価値があるといったものが価値があるだけで、別にそれは本物か偽物を判別する訓練をしただけの事であって。
あれほど皆が外してるところを見ると、もしかして物理的には偽物のほうが美味しかったり、きれいだったりするかもしれない。

要するに、なんでも必要以上に価値持たせ過ぎて、もういいやそんな面倒な物いらないってなってきてんじゃないだろうか?
本来ならガクトとか聖人とかものすごい偉人にしかできないようなことをそれができて当たり前なんだみたいな、それができないと幸せは得られないんだ、人間のクズだみたいな変なことになってしまってないのだろうか?

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悩みの多くを占めるのが人間関係、例えば愛とか絆とかが得られない与えられない、とかそういう部分だ。
それ以外にはほぼ文句ない状況というならかなり幸せな範疇に入るような気がしないでもない。
あまりにもその部分に重点が行き過ぎてる部分があるのかもしれない。

愛とか絆とか、価値判断として非常にあいまいなものだ。個人個人で基準が違うかもしれない。
なにも対人間だけを考えなくてもいいものなのかもしれない。

例えば、対象はペットでもいいかもしれない。
へたすると物とかでもいいかもしれない。
もっと遠い存在、例えば好きなアイドル、スポーツチームなどでもいいかもしれない。
さらにはもっとあいまいな存在、音楽とか国、平和、科学、思想、宗教とか
そんなものにも成り立つかもしれない。

それが対人間と比較して劣ると言えるだろうか、むしろ変な私利私欲が入ってこない分そちらの方が崇高と言えなくもない。
なぜこれほどまでに対人間が重視されてしまったのだろうか?
それが非常に困難なもの、下手をするとそんなものはそもそも無いから、、、、?
逆説的に言えば、声高に叫びつづけなければならないような意図的に作り出された物であるとは言えないだろうか?
なにか特定の者にとって都合のいい忍耐や不利益を押し付けるためとか?
それがあると思い込まないとやってられないみたいな、、、
だから妙に押し付けてくる。

自分がそれを得られないからこのような屁理屈を考えてしまうのだろうか?
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久しぶりに仕事の夢を見た。
取引先メーカーの営業さんに非難されるという夢だった。
営業さんは何かを売り込みに来たみたいだ。
結構なじみの営業さんの設定みたいだが、見たことない人だった。

それで、それをすっかり忘れていた私は会議か何かに出なくちゃいけないので対応できない申し訳ないと謝っている。
営業さんはすごく怒っていて、約束した時間に来たのにどうしてくれるんだみたいな感じだ。

夢のことなのでよくわからないが、たぶんこの時間なら空いてると約束したのであろう。
それでなにかの言い訳の拍子に、でもその商品要らないしなあ、みたいな本音を言ってしまう。

営業さんはよくそんな事をぬけぬけと言えますねみたいな事を言って去っていった。
こちらとしては釈然としない気持ちと時間を無駄にして申し訳ないという気持ちがごちゃまぜの嫌な気分の中で目が覚めた。

仕事を辞めてからかなり立つが、まだこんな夢を見るものなんだなあ、、、
何度かこのようなドタキャンせざるを得ないことはあったように思うが、さすがに営業さんにこんなことで非難されたことはない。本心ではこの野郎と思っていたかもしれないが、、、

逆のことはよくあったなあ、、、
しかもそれは営業ではなく、製品の不具合が出たから説明に来いと呼び出された上でドタキャンだ。
こちらとしては何しに来たんだよみたいな、、、そしてそのままとんぼ返りだ。
個人的にはその日の嫌な仕事がなくなってラッキーだったけど、、、
その客先とは今話題の企業だ。この会社潰れてくれないかなあと思ったものだった、、、
あまり詳しいことをいうと問題があるので止めとくが、、、
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