今話題の村八分にしても、人はほんとに信頼とか絆を軽く甘く見ていると思う。
そんな甘っちょろい物じゃないんだろう。

それらを得るにはすべてを捧げないと無理な代物であると思った方がいい。

それは、2000年前から変わってない。
日本において、よそ者が来た時何をしたか

向こうの方が強いと見るや娘を捧げたのである。
もちろん捧げたとは書いてない。
互いに好き合って結婚したと書かれている。
しかしそれはまやかしである。

ぶっちゃけ娘を捧げた以外の何物でもない。
そうでもしなければ、よそ者との信頼関係は得られないのだと教えている。
でなければ外国のように殺し合いである。
島国の日本では逃げる場所がないからそれはできなかったのかもしれない。
人権を無視して共存を選んだ。

このように人間の社会は全てを捧げて初めて信頼関係が成り立つのである。
人間とはそれほど愚かな生き物だと思った方が良いと思う。
もしそれを拒否する者があれば排除される。
だれか一人でも特別扱いを許した時点で秩序が崩壊するからである。

近代ではありえないと思うような事柄であるが、本質は何も変わってないと思う。
今でも結婚がそうだ。
すべてを共有することによってはじめて赤の他人との信頼関係を持つ。
会社内の信頼は労働力の全般的な共有の上に成り立つ。

そこでは排除される恐怖からすべてを捧げてしまうのである。
無制限に捧げてしまう。
そして潰れて自ら命をたってしまう。

美名の幻想から解放される必要があると思われる。
日本人は特にそうではなかろうか?