空気を読んで異論を言わない事を良しとしている風潮がある。
コミュニケーション能力至上主義の様相を呈している。
しかし、それなら話し合いなどせず独断で決めてくれた方がよほど効率的である。時間の無駄でしかない。
空気を読まないと和が乱れるというが、仲の良いふりをすることを和とは言わないのではないか?
和とは、お互いむかつき合いながら、不満は残るにしても、相手にも一理あるから決定にはほぼ納得することを言うのではないか?
異論や反論を言われたらそれはむかつくであろう。
人間だから当たり前である。
しかし、そのデメリットを踏まえた上で、それでも独断よりははるかにましだから話し合えと言っているのである。
それが和をもって貴しとなすではなかろうか。
それを意味を取り違えて空気を乱すな、反論するなとなると聖徳太子の教えの正反対をすることになる。
嘆かわしいと言わざるを得ない。
そのような事をすれば、独断を助長した上に、決定権者へのむかつき度は上がり、全体の納得感は下がるという最悪な状況になる。
昨今のさまざまな団体の忖度問題などはその典型であろう。
楽しい席でわざわざ感情を害することをする必要はないと思うが、そうでない席で空気を読んだらまずいのではなかろうか?
コミュニケーション能力至上主義の様相を呈している。
しかし、それなら話し合いなどせず独断で決めてくれた方がよほど効率的である。時間の無駄でしかない。
空気を読まないと和が乱れるというが、仲の良いふりをすることを和とは言わないのではないか?
和とは、お互いむかつき合いながら、不満は残るにしても、相手にも一理あるから決定にはほぼ納得することを言うのではないか?
異論や反論を言われたらそれはむかつくであろう。
人間だから当たり前である。
しかし、そのデメリットを踏まえた上で、それでも独断よりははるかにましだから話し合えと言っているのである。
それが和をもって貴しとなすではなかろうか。
それを意味を取り違えて空気を乱すな、反論するなとなると聖徳太子の教えの正反対をすることになる。
嘆かわしいと言わざるを得ない。
そのような事をすれば、独断を助長した上に、決定権者へのむかつき度は上がり、全体の納得感は下がるという最悪な状況になる。
昨今のさまざまな団体の忖度問題などはその典型であろう。
楽しい席でわざわざ感情を害することをする必要はないと思うが、そうでない席で空気を読んだらまずいのではなかろうか?