例えば、努力、やる気、強さ、忍耐
それぞれは良い物であり、局面で必要なものである。
しかし、それが一番大事なことではない。
目的は、別のところにあるはずで、例えば安定した無理のない活動の持続であったり健やかな心身を育成、維持することであったはずある。

それが達成されていれば、上のような事柄は無くてもいいのかもしれないし、それ自体ものすごく客観性の欠く事柄であるため、それらを評価基準にしてしまうと上の者の解釈でどうにでもゆがめられてしまう。

しかし、社会はなぜか上のような事を重要視する。
むしろ目的よりも、重視するほどである。
まるで苦労してなければ価値はないのだと言わんばかりである。

そして絶えずそれを要求する。
なければわざわざ苦労を作りだすほどである。
そんな事を要求されたら、心身が壊れていくことが必然だと思われるのにである。

本来の目的はどこかに追いやられ、より派手でより分かりやすい、より上記の事柄を強める方向に突き動かされていく。
そして、挙句に他者に優越するためには手段をいとわないとなり、破滅させられる。
たまたまうまくいっても、そんな事を続けることは不可能である。

何故、そのような事になってしまうのだろう?
日本人の特性であろうか?

しかし、聖書などをみても有史以来からそのような事柄が記述されている。
本質を忘れ、些細なしきたりを重視し人を苦しめる。
副次的なものを突き詰めてしまうのは日本人だけの問題ではなさそうである。

どうしたものであろうか?